2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。

前回第5回「雨ニモマケズ」は、主人公・金栗四三がストックホルム大会予選に出場し、世界記録を22分も更新するという大記録を達成し、一躍時のスターになったお話でした。

1911年11月19日、ストックホルム大会予選会が開かれました。

家族からの反対を受け、当初は予選会に参加しない予定で、審判員として参加していた三島弥彦(生田斗真さん)でしたが、選手たちの走りを見ているうちに、いてもたってもいられず飛び入り参加。

100m、400m、800mでぶっちぎりの速さを見せつけて優勝を勝ち取りました。

東京高等師範学校の徒歩部とともに、マラソン競技に参加する四三。

最長6里までしか走ったことのない四三には10里(25マイル)は未知の領域でした。

曇り空だった空は、スタートと同時に激しい雨が降り始めました。

スタート直後はスローペースで最下位付近を走っていた高師徒歩部たちは、5Km付近から徐々にペースを上げていきます。

競技場のある羽田では豪雨でしたが、途中からは強い日差しが照りつけて、落伍者がボロボロと出始めていました。

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ペースを上げ参加者をグングン追い抜き、折り返し地点で四三は4位にまで順位を上げていました。

前を走るのは、いずれも健脚揃いで、前評判の高い選手たちです。

四三は独自の呼吸法でライバルたちを追い抜き、未だ豪雨の羽田競技場にトップで戻ってきました。

この時、競技場の中では、余りにも落伍者の多い過酷なレースの責任問題を問われた嘉納治五郎(役所広司さん)が永井道明(杉本哲太さん)に責められていました。

しかし、四三が世界記録を大きく上回る記録で羽田に戻ってきたことで、嘉納は大喜び、ゴール直後ふらつく四三を抱きとめ喜びました。

幼い頃から嘉納治五郎に抱っこしてもらいたいと願っていた四三は、嘉納に抱きとめられたことで、父と自分の積年の思いが満たされたようになりました。

四三の活躍は新聞に載り、日本中に知れ渡り、熊本の春野スヤ(綾瀬はるかさん)のもとにも届きました。

寮でも祝勝会が開かれ徒歩部仲間や監督から祝福される四三。

同郷の美川(勝地涼さん)もひっそりとお祝いをしてくれました。

勝利の興奮が冷めない四三は、更なる向上のために今回のレースを振り返ります。

その時に、播磨屋で買った足袋が長距離には向かないことに気づいた四三は、翌日、播磨屋に出向き足袋の改良をお願いしようとします。

しかし、あまりにも率直に言いすぎたために播磨屋の黒坂辛作(ピエール瀧さん)から店を追い出されてしまいました。

四三が自慢の足袋をあまりにもボロクソに言うので思わず店から叩き出した黒坂でしたが、四三が置いていったボロボロの足袋と、血豆だらけになった四三の足を見て、何かを考え始めました。

一方、古今亭志ん生(ビートたけしさん)の若かりし頃の美濃部孝蔵(森山未來さん)は、予選会に参加していた車夫の清さん(峯田和伸さん)の代わりに浅草で車夫をしていました。

偶然、憧れの橘家円喬(松尾スズキさん)を乗せることができ、弟子入りを志願、受け入れてもらえることになりました。

前回第5回「雨ニモマケズ」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。

いだてん~東京オリムピック噺~第5回「雨ニモマケズ」のネタバレとあらすじと感想

それでは、第6回「お江戸日本橋」のあらすじと感想です。

新しい足袋

マラソンに夢中になりすぎて、播磨屋の足袋を酷評してしまった四三は、黒坂に謝ろうと店の前で黒坂の様子を窺っていました。

そこに現れた車引の清さんに助けられ、黒坂に謝り始めるのですが、黒坂は四三に注意を向けずただひたすらに足袋を作り続けています。

四三の弁明が届いていないのかと心配になった頃、黒坂は作っていた足袋を四三に向かって放り投げ、底を3重にしておいた、と語ります。

黒坂は四三のために足袋の改良をしてくれていたのでした。

四三は喜び、足袋を履くとあっという間に走り去ってしまいました。

嬉しかったんですね。

第5回オリンピック ストックホルム大会代表選手決定

1911年12月、嘉納はストックホルム大会に派遣する選手について考えていました。

短距離の三島や長距離の四三、2位、3位の選手もと考えていましたが、渡航費用、滞在費用を考えると何人も連れて行くことはできません。

文部大臣に資金援助を申し入れても、学生をかけっこなどで遊ばせる金はないと断られてしまいます。

新聞には、四三の記録は距離か時計の計測ミスではないかと疑問視され、嘉納は腹を立てます。

そして、四三が懸命に練習する姿を見て、四三をオリンピックで走らせようと、大日本体育協会の面々を奮い立たせます。

四三は、新しい足袋が嬉しくて走っていただけなんですけどね。

資金難のため、オリンピックに参加できる選手は2名。

四三と三島弥彦に決まりました。

嘉納は早速四三を校長室に呼び出し、大体協の委員が見守る中、四三に選手決定を伝え、「行ってくれるね」と力強く言葉をかけ四三の返事を待ちました。

しかし、四三の返事は「行きとうなかです!」という嘉納には到底信じられないものでした。

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四三、出場辞退

嘉納は四三の説得を始めるのですが、四三は参加した予選会がオリンピック選考会であることを知らず、ただ自分が10里も走れるのか、日頃の鍛錬の成果を試したかっただけ、そもそもオリンピックとは何だと嘉納に問い、出場を拒みます。

嘉納はオリンピックとは、言葉も文化も思想も違う国の若者が、互いを認め合い、技を競い合うことだと語り、四三を鼓舞しようとするのですが、国を背負って国際大会で戦うなど自分にはできないと、四三は土下座して嘉納に辞退を申し出ます。

自信のない情けない四三の姿に嘉納は「君にはがっかりだ」と落胆してしまいます。

嘉納は三島家を訪れ、弥彦に出場依頼をするのですが、弥彦からの返事も芳しくありません。

自分は帝大の学生であるから、たかがかけっこのために学校を休むわけにはいかない、と固辞する弥彦に嘉納は説得の言葉をかけようとするのですが、文科省の役人からも釘をさされた、と弥彦は取り合おうとしませんでした。

黎明の鐘

選手選考に嘉納が頭を悩ませていた時、東京高等師範学校の清国からの留学生が「帰国させろと騒いでいる」との報告が入りました。

辛亥革命が起こったとの報が入り、留学生たちは自国からの留学費用が滞り始め不安定な立場になっていました。

嘉納は、今清国に戻ったのでは留学生たちが革命に巻き込まれ、危険だと判断し、全ての留学費用は自分が賄うから、安心して留学生活を続けて欲しいと熱弁します。

そして、100名を超す留学生たちが日本に残ることになったのですが、この時嘉納が負った数億円の借金は、生涯返すことができなかったといいます。

資金が足りず、打ちひしがれた嘉納のもとに、優勝カップを返しに四三が訪れました。

嘉納は、前回興奮して怒鳴ったことを四三に謝り、冷静になったのか金欠のため力が入らないのか、いつにない柔らかな口調で四三にオリンピックの説明を始めました。

「何事も最初は辛い、しかし、誰かがその任を負わねば革新の時は来ない。スポーツも然り。ここで誰かが捨石となり礎にならなければ次の機会は4年後にしかやってこないんだ。金栗くん、日本のスポーツ界のために、黎明の鐘となってくれたまえ」と、嘉納は四三に頭を下げました。

その時、四三の目から涙がこぼれ落ちました。

四三は小さな声で「行きます」と呟き、次に「勝敗のみに拘らず、出せる力を出し切ってきます」と涙と鼻水を盛大に垂れ流しながら嘉納に向かって叫びました。

半分、大会出場を諦めかけていた嘉納は四三に「うんと練習に励め」とエールを贈ります。

お金がない

去りかけた四三を引き止めた嘉納は、国際大会の重圧は、協会が金を払うから感じるのではないかと語り始めます。

渡航費や滞在費を自分で出せば、罪悪感やプレッシャーから開放されるのではないかと提案し、四三に渡航費用を出させようと言葉巧みに四三を丸め込もうとします。

嘉納の言葉にまんまと丸め込まれた四三は、1800円もかかるという渡航と滞在のための費用を無心するために、実家の実次(中村獅童さん)に手紙を書きました。

オリンピック予選会と知らずに大会に出場し、世界記録を出してしまったこと、憧れの人である嘉納の口車に乗せられて、やむを得ず大会出場を承諾したこと、そして、渡航費と滞在費である1800円が必要であること。

国の威信をかけた国際大会であり、それは大任であるから、どうかどうかお金を工面してもらえないか、という言い訳じみた内容の手紙でした。

1960年の羽田

1960年(昭和35年)、かつて四三が走った羽田の競技場には空港が出来上がり、東京には大きな東京タワーが出来ていました。

羽田から芝に向かう車に乗っていた田畑政治(阿部サダヲさん)は、オリンピック招致に向けた工事渋滞に巻き込まれ、車中でイライラしていました。

その時、車の横を、足袋を履いたランナーが通り過ぎ、運転手が気づきます。

車のラジオからは志ん生の落語が聞こえてきました。

弟子になった美濃部孝蔵

1912年(明治45年)の美濃部孝蔵22歳は、名人・橘家円喬の弟子になり、毎日円喬の送迎のため人力車を引いていました。

当時の円喬は、上野、浅草、人形町、日本橋と日に4つの寄席を回る売れっ子でした。

人力車を引く孝蔵に「好きな噺は何か」と問う円喬に、孝蔵は『芝浜』『三軒長屋』『富久』が好きだと答えます。

すると円喬はおもむろに『富久』を噺始めました。

途中で止めた円喬を不審に思い振り返ると、円喬は「噺は耳で覚えるんじゃなくて足で覚えるんだ」と諭します。

「何のために浅草と日本橋を行ったり来たりしているのか」と言われた孝蔵でしたが、当時は何を言われているのかピンときていませんでした。

1960年、志ん生と五りん

1960年の志ん生は、当時、師匠は「実際に走ってみなければ落語の中の人物の気持ちはわからない」と言いたかったのでは、と弟子の五りん(神木隆之介さん)に語ります。

志ん生は五りんに、「弟子は背中で師匠の芸を聞く」と語り、五りんにも移動中小噺でも教えようかというのですが、五りんはドライに断り、オリンピックの噺を聞きたいと知恵(川栄李奈さん)とともにおねだりします。

ストックホルムに向けて

四三は黒坂に新しい足袋を作ってもらい、これからの練習コースについてアドバイスをもらっていました。

居合わせた清さんにも協力してもらい、ストックホルムに似た道を探します。

坂があって、石畳があって、近くに川が流れているコース。

そして決まったのは上野から浅草、凌雲閣を曲がって浅草を抜けたら、ぎゃん行ってぎゃん行って日本橋、そして芝方面へ。

このコースを四三は毎日走り続けます。

芝まで行ったら折り返し、日本橋から浅草へ。

孝蔵も師匠に言われたとおり、毎日走りながら噺の稽古をしています。

そして、日本橋で2人がすれ違った時、日本橋に大きな花火が打ち上がりました。

熊本の実家に四三からの手紙届き、受け取った実次(中村獅童さん)は厳しい顔で乱暴に扉を閉めました。

不穏な気配ですね。

次回、第7回は「おかしな二人」

金があるのに行けない三島と、行けるのに金がない金栗。

自費で渡航費用を賄わなければならない四三に、冷静な美川は「騙されてるよ」と忠告します。

嘉納は心の中で四三に謝りながら、しかし、自分も金がないと宣言します。

予算問題で頭を悩ます嘉納や四三。

三島家の冷えた家族関係。

問題山積みのオリンピック参加、一体どうなってしまうのでしょうか。

次回、第7回「おかしな二人」楽しみです。

いだてん~東京オリムピック噺~第7回「おかしな二人」のネタバレとあらすじと感想