2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。

前回第12回「太陽がいっぱい」は、オリンピック競技も終盤を迎え、とうとう主人公・金栗四三(中村勘九郎さん)がマラソン本番に臨むお話でした。

7月14日、マラソン競技当日。

その日は気温が非常に高く太陽もギラギラと照りつけるとても暑い日でした。

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午後1時半の本番に間に合うように余裕を持って11時に宿舎から出た四三でしたが、病気のため衰弱している監督・大森兵蔵(竹野内豊さん)を伴って、慣れない市電に乗るのは非常に困難でした。

乗るはずだった市電に乗れず、仕方なく大森を背負ってスタジアムまで徒歩で向かう四三。

四三は、かつて嘉納治五郎(役所広司さん)に会うために、胃弱の父と旅をしたことを思い出していました。

大森と父を重ねた四三は、迷惑をかけたくないから先に行けという大森を放っておくことができず、背負って歩いたのです。

時間ギリギリにスタジアムに到着したため、他の選手はすでに準備万端。

慌てて四三も用意するのですが他の選手に置いていかれてしまいます。

スタジアムに駆け込んだ四三を待っていたのは、観客席からの大歓声。

その大声援に飲まれ、足袋の留め具が留めきっていないのにスタートの号砲が鳴り、四三は出遅れてしまいます。

最後尾からのスタートでしたが、四三は独特のフォームと呼吸法でどんどん順位をあげていきました。

気温はぐんぐんあがります。

気温は30℃、日差しは石畳の照り返しにより更に暑さが増していました。

日本・熊本では、四三のレースを応援しようと四三の実家に池部スヤ(綾瀬はるかさん)が訪れていました。

スヤは、四三を応援するため新鮮な鯛を持参し、四三の家族に振る舞いながら声を張り上げ四三を応援します。

同時刻、東京高師の宿舎でも、ストックホルムの四三に声を届けようと必死に声援を送っていました。

東京浅草の美濃部孝蔵(森山未來さん)は、師匠に初高座を命じられたため、練習に励んでいたのですが、普通に練習したのでは調子が出ず、覚えた時の車を引きながらではないと上手くいかないと、縦横無尽に車を引きながら『富久』の練習に明け暮れます。

厳しい暑さの中、レースは続きますが、日射病・熱中症で倒れる選手が続出する危険なレースとなっていました。

四三も度々目眩や足のもつれに見舞われていました。

幼い自分の幻が四三の前に現れ、アドバイスをするのですが朦朧としている四三には上手くできません。

17マイル地点、コースの中で四三がいつも間違ってしまう分岐点で、疲れ果てていた四三は間違ったコースに進んでしまいます。

ポルトガルの代表選手・ラザロからコースが違うと指摘を受けるのですが体が言うことを聞かずそのままコースアウト。

スタジアムでは嘉納や大森、短距離の三島弥彦(生田斗真さん)らが四三の帰りを今か今かと待ち続けていました。

スタジアムにどんどん戻ってくるマラソン選手たち。

しかし、その中に四三の姿はありませんでした。

心配した嘉納らは日射病で倒れた選手が運び込まれた病院に行ってみたり、マラソンコースを隈なく探し回るのですが、四三の行方は一向に掴めず、夕方になっても見つかりません。

仕方なく捜索を諦め宿舎に戻ってみると、部屋で寝ている四三を見つけました。

驚き四三に詰め寄り事情を聞こうとするのですが、四三も事情がわからないようで、ただ謝罪を繰り返すのみ。

内田公使(井上馨さん)とガイドのダニエルが四三は日射病で倒れたため、宿舎に運んだのだと事情を説明すると、四三は「調子が良かった、どんどんスピードが上がって…」と語るのですが、そのうち項垂れ破れた足袋を胸に抱きながら謝罪を繰り返すことしかできませんでした。

そしてそんな四三をゆっくり休むようにと嘉納は促すのでした。

前回第12回「太陽がいっぱい」を見逃した方は、ぜひこちらをどうぞ。

いだてん~東京オリムピック噺~第12回「太陽がいっぱい」のネタバレとあらすじと感想

それでは、第13回「復活」のあらすじと感想です。

レースの記憶

東京高師宿舎では、午前3時50分という早朝であるにも関わらず皆が起きて四三のレース結果が出るのを待っていました。

いち早く新聞記者が永井道明(杉本哲太さん)にコメントを求めてきました。

まだ結果がわからないと言ったその時に、四三敗退の一報が入りました。

日射病のためレースを途中棄権と聞き、高師の仲間らは信じられない思いでいました。

灼熱地獄のようなマラソンは、参加者68人中34人が棄権という大変過酷なレースでした。

敗北から数時間経ち、体が落ち着いた四三は、ガイドのダニエルとともにマラソンコースを歩いていました。

四三はレースに出ていたことを覚えておらず、自分でも「奇妙なり」と感じていました。

ダニエルに教えられながら折り返し地点まで行くと、少しずつ自分も走っていた事を思い出してきました。

ラザロとデッドヒートを繰り広げた事を思い出してきました。

ダニエルは、折り返し後から脱落者が急増したと四三に教えます。

あのレースの時、ダニエルは四三に水分補給をさせようと、水を持ち四三に駆け寄り、必死に叫び続けていましたが四三は受け取りません。

ダニエルは「無理にでも渡せば良かった」というのですが、朦朧としていた四三では受け取ることは難しかったかもしれません。

謝るダニエルに、「ばってん、雨ば降ったけん…」という四三でしたが、本当は雨など一滴も降ってはいません。

四三の記憶は混濁しているようでした。

四三が道を間違えた17マイル地点に辿り付きました。

左に行くと正規のコース、右は深い森と一軒の家だけです。

四三は、看板の下に子供がたっていたとダニエルに言います。

ラザロにコースが違うと指摘されましたが、そのまま進んでしまった四三。

今にも倒れそうになりながら森を進んでいくと、先程の子供が現れ、四三を先導するかのように走り出します。

四三は子供の後をフラフラと付いていきました。

足がもつれ、意識も朦朧としてフラフラと民家の庭に辿り着いた四三。

そこではお茶会の真っ最中でした。

そんな中、急にフラフラな日本人が現れたのですから、住人たちは驚きます。

倒れた四三を木陰に寝かせ、水分を取らせ食べ物を食べさせ体を冷やしながら、住人らは四三にJapan?と聞くと、四三はフラフラと起き上がりつつ「日本人です」と答えます。

四三の意識はそこで途絶えてしまいました。

次に目を覚ました時には、大樹の木陰で内田公使やダニエルが心配そうに覗き込んでいました。

内田公使らに連れられて宿舎に戻るために乗った汽車の中で、四三は泣き通しでした。

四三の体を守るためにかけてくれたペトレ氏のコートを握り締め、ただただ四三は泣き続けました。

レースの翌日

7月15日、大敗後の朝を迎えて。

四三は日記に、日本人の体力不足と技の未熟さを痛感したと書き記しています。

マラソンのことが書かれた新聞には、1位から13位までがオリンピック新記録だったと書いてありました。

それを聞いた四三は、あの暑さの中、西洋人の体力は「とつけむにゃあ」と感嘆します。

弥彦から四三が足袋を渡したポルトガルのラザロが日射病による髄膜炎で死亡したと知らされた四三は、分かれ道で自分も正規のコースを走っていたら同じように倒れていたかもしれなと思い、四三は呆然としました。

正規コースではなくコースアウトした四三は、それで良かったのかと思わず呟くと、弥彦は「良かったに決まっている!死んだら二度と走れないんだぞ!」と強い口調で四三を嗜めます。

病床の大森は、この体のせいで監督らしいことが何もできず、選手に迷惑をかけてしまったと後悔していました。

嘉納はそんな大森に「うじうじするな、側にいる者の身になれ」と大森を諭します。

大声を出し選手を鼓舞することはなくても、大森が残した遺産はこれからのスポーツ界になくてはならないものだと大森を讃えます。

大森が1冊の本には、短距離の足の運び、スタートの切り方、練習の仕方、腕の振り方など事細かに纏めてありました。

大森が残した遺産は素晴らしい誇れるものだと大森を賞賛したのです。

大森も、オリンピックは若者のための大会、未来のために今がある、日本人の肉体が劣っているというのなら、10年後50年後に追いつけばいい、と言います。

マラソンの結果は日本の新聞にも掲載され、四三が日射病のため棄権したと記されており、東京高師の仲間たちは悲嘆に暮れていました。

そんな中、四三が2週間前に書いた手紙が高師に、熊本の実次(中村獅童さん)のもとに、池部家のスヤのもとに届きました。

四三が手紙とともに送った入場行進の写真は、ハリマヤに「ハリマヤ謹製ノ足袋ニテ行進」という言葉とともに張り出されていました。

三遊亭朝太(美濃部孝蔵)、初高座

とうとう、孝蔵の初高座の日です。

孝蔵は高座を控えているため、酒は飲まず「ワニラ」と呼ばれる安い牛めしを食べて鋭気を養っていました。

そこへ車夫の清さん(峯田和伸さん)が現れ、ハリマヤの店主に作ってもらった着物を孝蔵に渡し激励します。

そうして寄席に行ってみると、孝蔵の番だというのに孝蔵は出てきません。

楽屋の方から罵声が聞こえてきます。

それは、孝蔵が酔っ払っていることに対する叱責でした。

孝蔵は初高座前だというのに、酒を飲み博打を打ち、せっかくもらった着物を質に入れるという失態を犯していたのです。

師匠・橘家円喬(松尾スズキさん)の叱責を受けながら、孝蔵は初高座の舞台に上がったのです。

演目は『富久』

酔っ払ったまま高座に上がった孝蔵が、破れたヨレヨレの着物だったことに清さんは驚きました。

話しだした孝蔵は、観客の目が自分に向けられていることに驚き、次の言葉がでなくなってしまいます。

しかし、円喬からの「落語は足で覚えるんだ」という言葉を思い出し、車を引いているような仕草をしながら、孝蔵はなめらかに話し出します。

そして、四三は日の丸がついたユニフォームに着替えるともう一度マラソンコースを走り始めました。

車を引いているかのような孝蔵の噺は迫力満点、観客は一気に引き込まれてしまいます。

しかし、クライマックスで前に突っ伏してしまった孝蔵は、「頭が痛いので今日はここまで」といい、舞台を降りてしまいました。

舞台を途中で降りてしまった弟子・孝蔵の噺を聞いていた円喬は、酒を飲んで高座に上がった孝蔵に、あれだけ憤っていたにも関わらず、その口元は少し緩んでいました。

ラザロの死、その遺志

マラソンコースを走っていた四三は、マラソン選手たちが次々と集まり、ラザロが倒れたところに花を手向けていることに気づきました。

四三も花を手向けながら、ラザロのことを思い出していました。

その頃、IOC委員会が開催されており、死者を出してしまったオリンピック存続はもう難しいのではと話し合っていました。

ポルトガルの委員は、ラザロの死を悼みつつ、倒れてなお走ろうとしていたこと、病院にいても走る気力を失っていなかったこと、死の直前まで走り続けようとしていたことを委員の前で語り、ラザロの死を無駄にしないで欲しい、ラザロの遺志を尊重し、4年後もオリンピックとマラソンを存続して欲しいと訴えました。

オリンピック創始者のクーベルタン男爵は、この言葉を聞きき、4年後のオリンピック開催を決定しました。

ラザロの終焉地で花を手向け終わった各国の選手たちは、4年後の再会を誓い別れます。

四三も、4年後のオリンピックに向けて強い思いを胸に抱くのでした。

委員会終了後、嘉納はクーベルタンに話しかけ、いずれは極東にもオリンピックを招致したいと野望を口にします。

クーベルタンは無理だと言うのですが、嘉納の瞳は本気でした。

ストックホルムに別れ

「粉骨砕身して マラソンの技を磨き もって皇国の威をあげん」と四三は日記に記しています。

4年後のオリンピックに必ず帰ってくるという決意のもと、嘉納は閉会式を待たず日本に戻ると弥彦や四三に告げました。

病床の大森を置いて、一足先に帰国するため、挨拶にいった四三たちでしたが、あまりの衰弱ぶりに安仁子夫人は2人を部屋に入れてくれません。

それでも、お世話になったお礼と、日本でまた会いましょう、というメッセージを部屋にいる大森に向けて話すと、寝たきりだった大森の腕が上がり、指を鳴らして2人に合図を送るのでした。

四三らの希望も虚しく、大森は安仁子夫人の故郷に戻ると、それから翌年の1月も経たずに亡くなり、日本の地に戻ることはありませんでした。

大森兵蔵享年37歳。早すぎる死でした。

帰国の前に、四三を助けてくれたペトロ一家にも挨拶を済ませ四三は帰国します。

ストックホルムでは四三は「Missing Japanese=消えた日本人」と呼ばれるようになっていました。

一方、酒を飲んで途中で高座を降りてしまった孝蔵は、首にもならず前座で小噺をさせてもらっていました。

清さんからもらった着物は質から出し、もったいないからと清さんに返そうとするのですが、まだ噺家をするのならば持っていろと清さんに促され、それを受け取ると肩に引っ掛けるのでした。

長い長いストックホルム滞在48日間がようやく終わり、四三たちは帰国の途につきます。

お世話になったダニエルに四三が作った押し花を渡し、別れを告げます。

次は1916年、ベルリンオリンピックです。

次回、第14回「新世界」

四三たちが帰国すると、明治天皇が崩御しており、元号が大正に変わっていました。

日本のスポーツ界に女性の進出が見られるようになってきていました。

四三は結婚が決まります。

4年後のオリンピックに向けてまた走り出す四三。

箱根駅伝の誕生、女子スポーツの幕開け、次回も目が離せませんね。

次はどんな試練が待ち受けているのでしょうか。

次回第14回、「新世界」楽しみです。

いだてん~東京オリムピック噺~第14回「新世界」のネタバレとあらすじと感想