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いだてん~東京オリムピック噺~第37回「最後の晩餐」のネタバレとあらすじと感想

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2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。

前回第36回「前畑がんばれ」は、女子水泳初の金メダリスト・前畑秀子(上白石萌歌さん)が、日本中からの期待の声を受け、ひどいプレッシャーに苦しみながらも、金メダルを獲得するまでを描いたお話でした。

前回大会で引退しようと考えていた前畑秀子でしたが、当時の東京市長・永田秀次郎(イッセー尾形さん)から、「なぜ金メダルを取ってこなかったのか」と叱責され、ベルリンオリンピックで前回大会の雪辱を果たすため、1日2万Kmという信じられないほどの量を毎日泳ぎ、懸命に努力を続けました。

その結果、世界記録を3度も更新するほどの成長を遂げたのです。

実力的には自信を持っていい記録のはずですが、前畑はかえってプレッシャーを感じ「オリンピックで金メダルを取らなければ殺される」と考えるほど思いつめてしまいました。

1936年8月1日、ベルリンオリンピックが開幕しました。

好調の陸上陣に続けとばかりに水泳にも期待がかかるのですが、男子水泳陣はイマイチ調子が出ず、頼みの綱は女子200m平泳ぎの前畑のみ。

控え室では、田畑政治(阿部サダヲさん)が男子水泳陣に対して檄を飛ばしていました。

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それを聞いていた前畑が硬い表情になったと気づいた政治は慌てて前畑を気遣う言葉をかけるのです。

いつも好き勝手に傍若無人に暴言を吐く政治が前畑を気遣う様子に、女子選手たちは驚愕しました。

前畑と金メダルを争うドイツのマルタとは、予選から互いの記録を数日置きに破るというデッドヒートを繰り広げていました。

どちらが勝ってもおかしくない状況、前畑のプレッシャーはピークに達していました。

そんな前畑を気遣う松澤初穂(木竜麻生)と小島一枝(佐々木ありさ)は、決勝前夜、前畑の緊張を解きほぐそうと部屋にやってきました。

日本国中から集まった224通もの電報。

「がんばれ」と応援するものから「結婚して」というものまで、中には金栗四三(中村勘九郎さん)が送った「辛か時は押し花がよか」というものも含まれていました。

2人に励まされ少し落ち着きましたが、前畑を本当に落ち着かせたのは、夢枕に立った亡き両親でした。

両親から「秀子が母ちゃんの金メダル」と言われて、前畑は落ち着いたのです。

女子平泳ぎ決勝当日、日本から届いた電報を口に入れて食べるという奇行に走った前畑を止める政治。

「これでもううちは1人じゃない、日本人みんなで泳ぐんや」と前畑は叫びました。

日本国中からの期待を一身に背負った前畑がプレッシャーを撥ね退け、力に変えたのでした。

一方のマルタはヒトラーから直々に激励を受けていました。

国を背負った2人の負けられない戦いが始まりました。

会場内は地元ドイツのマルタを応援する声で溢れかえっています。

日本にいる人々は、ラジオの前で実況中継が始まるのを今か今かと待っていました。

日本の深夜0時を過ぎた頃、号砲が鳴り響きました。

イギリスの選手が引っ張る形でレースは進みますが、次第に前畑が伸びてきました。

1度目のターンでは前畑は2位、選手はほぼ横並びです。

残り50m、前畑の力泳に実況の河西アナウンサー(トータス松本さん)は「前畑がんばれ」と声を限りに叫び続けました。

一番にゴールに手を着いたのは前畑。

僅か10分の1秒差での勝利でした。

ライバル・マルタは、前畑に「楽しかった、また一緒に泳ぎましょう」と前畑の健闘を称えました。

4年間、辛い練習に耐え、プレッシャーに押し潰されそうになっていた前畑の努力が報われたのです。

表彰式では、号泣した前畑は顔を上げることができませんでした。

ベルリンオリンピックが終わり、帰国した嘉納治五郎(役所広司さん)は、ベルリン大会の絢爛豪華さに圧倒され当初の目的を忘れ、国を挙げての一大事業として日本の国力を見せつけるというベルリンオリンピックの模倣のような大会を開催しようとしていました。

スポーツマン精神を忘れた嘉納を副島(塚本晋也さん)は危惧し、政治も戸惑いを隠せません。

ベルリンの選手村で通訳を務めていたヤーコブが、オリンピック閉会式後に自殺したと副島から聞いた政治は、やりきれない思いを抱えていました。

新聞社に戻ると、政治家になった河野(桐谷健太さん)が待ち受けており、政治が所属する体協が最近軍に阿ってばかりでスポーツマン精神に則っていないと苦言を呈します。

そんな調子ならば自分はオリンピック反対論を次の国会でぶち上げると河野は宣言、政治は驚くばかりです。

オリンピック開催に向けて迷走する政治たちのもとに日中戦争が勃発したとのニュースが飛び込んできたのでした。

前回第36回「前畑がんばれ」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

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それでは、第37回「最後の晩餐」のあらすじと感想です。

目次

オリンピック反対論

1937年、立憲政友党の河野一郎は、政治に宣言したとおり、国会でオリンピック反対論を唱えました。

「一触即発の日中関係と平和の祭典、国防費のためにと国民に我慢と緊張を強いていながら、オリンピックというお祭りを開催するという。

この相反する2つに対して、国民に説明できないのであれば、この国でオリンピックを開催する資格はない」と河野は主張します。

この年の7月7日、日中戦争が勃発、日本と中国の全面戦争が始まってしまったのです。

日本の若者たちが戦地に出征する中、オリンピックの準備は進められていきます。

これまで神宮競技場でオリンピックを行うことを夢見ていたのに、ベルリンオリンピックでの統制の取れた絢爛豪華なオリンピックを見てしまった嘉納は、ベルリンの10万人収容できるスタジアムのように大きなものを作らなければいけないと、言い始めたのです。

副島が言うような日本らしいこじんまりした大会など誰も望んではいない、赤っ恥をかくだけだ、と嘉納は副島の意見を一蹴してしまいます。

「全ては国のため、大国日本の国力を見せる」と息巻く嘉納に、副島も政治も呆然とするしかありませんでした。

河野はオリンピック開催に向けての進み具合を政治に訪ねます。

軍や政府の要人をオリンピック組織委員に招いた嘉納に河野は不信感を抱いていました。

ポスターやオリンピックのマークが完成した!と言う政治に、河野はそれくらいしか出来ていないのなら、まだ返上できるのでは、と言い返しました。

開催権返上?

熊本からスヤ(綾瀬はるかさん)と子供たちが上京してきました。

東京の町では音楽隊によるパレードが行なわれていました。

スヤは、オリンピックの前祝いかと勘違いをするのですが、本当は出征する人々のためのパレードでした。

街の人々は、戦地へ行っても直ぐに帰って来れると信じて、万歳で出征する兵士を送り出していました。

この年、黒坂辛作(三宅弘城さん)の妻が亡くなりました。

スヤは、成長した増野りく(杉咲花さん)に再会し、感慨深く感じていました。

スヤはりくと小松の様子を観察し、小松がりくに惚れているからちゃんと監督しなければいけない、と四三に言います。

翌日、りくに四三の走りは古い、水を飲んではいけないという教えも古い、今は水分補給は基本、と言っているところに四三が現れました。

「能書きたれても金メダルは取れんばい」と言い、小松と厳しい練習に励みます。

8月になりましたが戦火は収まるどころか拡大する一方です。

オリンピックが国威発上の場になることを恐れた副島は、内閣総理大臣・近衛文麿に嘉納に黙って直談判を行いました。

政府が本気でオリンピックを支持してくれるのなら、補助金として500万円を上乗せして欲しいと要求し、それが無理ならばオリンピックの開催権を返上すべきと進言したのです。

それを聞いた嘉納は激怒しました。

今の日本では開催は無理、判断が遅れれば遅れるだけ他の地で開催するのが難しくなる、「今こそ名誉ある撤退を」という副島に対し、嘉納は「オリンピックはやるんだよ、この東京で!」と言い張るのです。

政治がYMCAプールに顔を出すと、選手全体のタイムがあまりよくないことに気づきます。

監督の松澤一鶴(皆川猿時さん)にもう3年しかないんだと檄を飛ばします。

そこに、若手選手たちが政治に話があるとやってきました。

自分と年が変わらない従兄弟が出征し、それなのに自分だけが泳いでいていいのだろうか、後ろめたく感じてしまう、と政治に問うのです。

こんなことで日本にオリンピックは来るのかと宮崎(西山潤さん)らは政治に疑問を投げかけるのでした。

四三の思い

政治家となった河野は、ラジオでオリンピック反対を強く訴えています。

河野の答弁は、大きな波紋を起こしていました。

四三は、河野と話がしたいと朝日新聞社に乗り込んできました。

緒方竹虎(リリー・フランキーさん)は、河野はここにいないと説明するのですが四三は聞かず、新聞社の中を探し回ります。

政治が四三に河野は記者をやめた、と説明すると四三は政治に本当にオリンピックはできるのかと問いかけます。

ストックホルムオリンピックの4年後、四三は絶好調で世界記録も出して金メダルを期待されていました。

しかし、戦争が起こり、ベルリンオリンピックは中止されました。

四三は今回の戦争で、嫌な予感がするというのです。

今回、日本は戦争の当事者です。

当事者の日本が平和の祭典など、矛盾していると四三は訴えます。

四三の矛盾という言葉を聞いた政治は、自分だって矛盾を感じている、と四三に訴えます。頭がぐちゃぐちゃ、混乱していると四三に言います。

大陸の地図を見て、中国に何千何百の兵を送り込んだという記事を書く傍ら、同じ地図を見て聖火リレーのルートを考える矛盾。

夢と現実が入り乱れて混乱していると政治は言います。

「認めたくないが、河野の言うとおりです」と政治はいうのです。

四三は若手の育成をしており、弟子の小松をオリンピックで走らせてやりたい、はしごをはずされる選手の気持ち、明日の目標を失った選手の悲しみを考えて欲しいと政治に切望したのでした。

「そうに考えるのは矛盾でしょうか」と訴える四三に、スポーツに矛盾はつきものだ、と政治は言うのです。

「なぜ走る、なぜ泳ぐ、答えられない。でもそれしかないじゃんねえ、あんたも俺もオリンピックしかないじゃんねえ、戦争で勝ちたいんじゃない、マラソンで勝ちたい、水泳で勝ちたいんだ」

四三は、ただただ小松をオリンピックで走らせてやりたいのです。

政治だって、平和の祭典であるオリンピックをこの東京でやりたいだけなのです。

嘉納と政治の対立

12月、日本軍は南京を占領、さらに戦地を広げようとする日本は、世界から孤立していました。

ある日、政治は家で興奮していました。

「あれをなにしなければならない」と言い、妻・菊枝(麻生久美子さん)に同意を求めるのですが、菊枝は簡単に「いいんじゃないですか」というのです。

そして菊枝が政治に出した料理はきゅうりの天ぷらにきゅうりの味噌汁など、きゅうりづくし。

「俺はかっぱか!」と叫ぶ政治に、「最近のあなたは見ていられません。かっぱに戻ってください、かっぱのまーちゃん」と菊枝は言うのでした。

オリンピック開催を世界中から疑問視される中、エジプト・カイロで行われるIOC総会に嘉納は出席することになりました。

副島は熱を出し寝込んでいます。

どのみち、責められたら簡単に「開催権を返上する」と言いそうな副島とは一緒に行く気はない、と嘉納は言います。

「競技場も未だに決定せず、報告すべき何物もない、手ぶらだ、だが、日本は大国、必ず開催できるという信念のもと、正々堂々押し切ってみせる」と嘉納は力強く言うのです。

政治に「付いてくるか」と同行を促すのですが、政治は「返上するならお供します、断固開催するというのなら行きません」と嘉納にいうのです。

「こんな国でオリンピックをやったらオリンピックに失礼だ、この期に及んでこれほどにみっともないことはない、しかし、それができるのは嘉納さん、あなたしかいません」

土下座までして嘉納に開催権を返上してくれと懇願するのですが、嘉納は政治の言葉に耳を貸そうとはしませんでした。

「今の日本はあなたが世界に見せたい日本ですか!また口先だけで大風呂敷を広げるというんですね。そんな嘉納治五郎は見たくない、どうぞ、一人で行ってください」

そう言って、立ち去ろうとする政治に嘉納は、

「後ろ向きなことは言わないんじゃなかったのか、田畑!」と叫びます。

「前向きですよ、前向きに返上してくれと言ってるんだ俺は!あんたが、ここで引き下がる潔さを見せれば、戦争が収まった後、もう一度オリンピックを招致できる!」

政治は必死で訴えました。

しかし、その言葉は嘉納に届きませんでした。

政治は「残念です」と呟くと足早にその場を去りました。

カイロの総会で

カイロの総会に参加した嘉納は四面楚歌、針のむしろに座らされているような心地でした。

投票の時は日本に味方した中国のIOC委員も、今、日本と全面戦争をしているため、開催地変更を求めて抗議します。

他の委員からもいつまで戦争を続けるのか、競技場について、聖火について、補助金について、いろいろなことを聞かれるのですが、嘉納は何一つ答えることができません。

しかし、30年オリンピック委員を務めてきた自分を信じて欲しいと、嘉納は訴えるのです。

オリンピックと政治は関係ない、日本が必ず証明してみせるから、嘉納を信じてください、と深々と頭を下げる姿に、ラトゥールは絆され、他の委員も嘉納を信じることにしたのです。

1938年春、IOC総会において、東京開催が改めて承認されました。

返上を希望していた政治は頭を抱えていました。

河野からも責められながら、自分だって515事件の時から政治とスポーツについて違和感を感じ続けていた、と政治は言うのです。

日本は、政治とスポーツを別に考えられない軍事国家。

お国のためのオリンピックなど俺はいらん、と政治は叫びます。

開催権を返上してくれと嘉納に訴えたが聞いてもらえなかったと政治は河野に訴えます。

それでも、東京開催が決まったのならもうどうしようもない、やるしかない、と河野に協力を求めたのです。

帰国の途

その頃、カイロからカナダを経由して嘉納は帰国しようとしていました。

そこに平沢和重(星野源さん)という外交官が合流しました。

横浜まで13日間、平沢は嘉納のお供をすることになりました。

航海初日から3日程は波も穏やかだったのですが、その後時化となり海は荒れました。

この時嘉納は体調を壊してしまいました。

しばらくすると起き上がれるようにはなりましたが、本調子ではありません。

同乗していた平沢も嘉納の体調を気にしていました。

しばらくすると、嘉納の体調も幾分かよくなり、食堂に顔を出せるようにまで回復してきました。

「人生で一番面白かったこと」という話題を乗客に振る嘉納。

そして、自ら平沢に1番面白かった経験を語り始めました。

まず、羽田の競技場で行われたオリンピック予選。

天狗倶楽部と留学生達で競技場を作って、四三が染料で顔を真っ赤に染めながら帰って来た時の事を語ります。

しかし、これは1番ではないといいます。

次に、ストックホルム大会にて、「NIPPON」と書かれたプラカードを持って入場行進をした時の事も忘れられない経験、と嘉納は語ります。

さらに、ロサンゼルスオリンピックの時の政治の事も思い返していました。

口は悪いが言っただけのことは必ずやると政治を誉めたたえます。

そして強かった競泳陣の事を思い出していました。

帰りには現地の日系人に感謝され、「俺は日本人だ」と胸を張って高らかに叫んだと平沢に語ります。

1番を選ぶのは難しい、と迷う嘉納に平沢は、1番は東京オリンピックではないか、と話します。

嘉納は「そこだよ、そこ」というと、「これから1番面白いことをやるんだ、東京で」と言い始めました。

「東京で、本当にできるのかと眉をひそめていた西洋人をあっと言わせるんだ、みんなが驚く、みんなが面白い、そんなオリンピックを見事やってのける、これこそ1番!」

嘉納は咳き込みながら語るのでした。

その日の嘉納は咳が止まらず非常に苦しそうでした。

その頃、小松とともに海辺を走っていた四三の足袋の紐が突然切れてしまいました。

1983年5月4日、カイロから日本に向かう太平洋沖の氷川丸の中で、嘉納は肺炎で息を引き取りました。享年77歳。

カイロを旅立ってから2週間後のことでした。

知らせを聞いた政治は嘉納の遺体が安置されている場所まで赴きました。

棺の中で花に囲まれた嘉納の姿を見て、政治も副島も涙を流していました。

平沢は政治に近づくと、「嘉納先生からです」と託されたものを渡したのです。

平沢から政治に渡されたものは、嘉納が愛用していたストップウォッチでした。

動き続けるストップウォッチをみて、政治は項垂れました。

嘉納の柩にはオリンピックの旗がかけられました。

次回38回「長いお別れ」

太平洋戦争が勃発し、世界中を巻き込んだ戦争が起こりました。

嘉納治五郎の死によりオリンピック組織委員会は求心力を失っていき、オリンピック開催に対する反発は日に日に強くなっていきます。

四三の弟子・小松はりくと結婚するのですが、出兵が決まってしまいます。

小松の今後は、オリンピックはどうなってしまうのでしょうか。

次回、第38回「長いお別れ」。緊迫した状況に、目が離せませんね。

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