2019年大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」は、毎週日曜日20時からNHK総合他にて放送中です。

前回、第40回「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、激しい戦争を経てオリンピックを東京に呼ぼうと力を尽くす田畑政治(阿部サダヲさん)を始めとするオリンピック招致委員の奮闘のお話でした。

1959年、オリンピック招致に向けて、万全の体制を整えてオリンピック最終スピーチに望むつもりだった田畑政治でしたが、最終スピーチをする予定の外交官がアキレス腱を切ってしまい、松葉杖を付いたままのスピーチでは説得力にかける、ということで代役を探さなければならなくなってしまったのです。

政治が代役として白羽の矢を立てたのは、かつては外交官、現在はNHKの解説員としてお茶の間の人気を博している平沢和重(星野源さん)でした。

しかし平沢は、戦後まだ14年しか経っておらず、何もかも失った日本に、オリンピックのような金のかかるお祭りは必要ない、時期尚早だと、オリンピック反対論を掲げていました。

1938年、IOC総会に出席し数多くの反対意見を封じ込め、1940年のオリンピック開催権を獲得、エジプトカイロから帰国する嘉納治五郎(役所広司さん)と、当時外交官だった平沢は帰国までの短い時間を過ごしました。

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船中で具合が悪くなった嘉納を看取った平沢は、講道館の機関誌『柔道』に、「心から東京オリンピックの成功を祈らざるを得ない」と寄稿していました。

政治は、その一文を読み上げて、平沢を説得しようとするのですが、平沢が成功を望んだオリンピックは、幻となってしまった1940年の東京オリンピックのことで、今のことではない、と反論します。

さらに、平沢のオリンピック反対理由は簡潔で分かりやすく、同じ招致委員で東京都知事の東龍太郎(松重豊さん)や秘書の岩田幸彰(松坂桃李さん)ですら、納得させられてしまうほど。

そんな平沢に政治は、自分には自分の意見が有り、オリンピック招致に向けて力を尽くしてきた、と戦後からのオリンピック噺を聴かせ始めたのでした。

1945年、第二次世界大戦は終戦を迎えました。

東京の街は焼け野原となり、嘉納が作り残した明治神宮外苑競技場も空襲でボロボロ、しかも米軍に接収されていました。

競技場に入り込んだ政治は、穴だらけのグラウンドや壊れた外壁、そしてラグビーをして遊ぶ米兵の姿を見て、改めて東京でオリンピックをやろうと決意を固めました。

すぐさまかつての仲間を集め、体協を立て直し、戦地から戻ってきた水泳選手たちを指導員にして若手選手の育成を始めました。

食うや食わずの中、闇市で炭水化物を、タンパク質としてカエルを食べながら、日々練習に励んでいました。

そのかいあって、世界記録を出せる選手が育ったのですが、日本が敗戦国で国際水泳連盟から除名されていたため、公式記録とは認められません。

1948年、戦後初となるロンドンでのオリンピックに日本は参加を許されず、政治は裏オリンピックを開催して日本の強さを世界に知らしめようとしました。

その結果、政治が育てた古橋廣之進(北島康介さん)と橋爪四郎は世界新記録を叩き出し、水泳日本の強さを世界に知らしめることに成功しました。

おかげで日本は国際水泳連盟に復帰、全米選手権にも招待されたのです。

占領下にある日本はパスポート発行などできませんが、政治は連合軍指令官であるマッカーサーに直談判して参加を認めてもらいました。

日本の努力もあり、次の1952年ヘルシンキオリンピックに日本は参加できたのですが、メダルを期待されていた古橋の選手としてのピークは過ぎており、金メダルには程遠い結果となってしまいました。

オリンピックに対する政府の無理解に業を煮やした、政治は自分が政治家になろうと静岡3区から立候補したのですが、「東京にオリンピックを」というスローガンを掲げて浜松でスピーチしても、当然、当選できるはずがありません。

水泳の遠征費など掛かる費用は、実家の田畑家が所有する土地を少しずつ切り売りして資金を調達していました。

1956年、メルボルンで行われたオリンピックで、ロビー活動に励む政治は、戦後復興を果たした日本を見てもらいたいと精力的にアピールを続け、その努力の結果、次のIOC総会は東京で行われることが決定しました。

新しい日本をIOC委員たちにアピールするために、嘉納が残した古い明治神宮外苑競技場は改修工事が行われ、8万人が収容できる国立競技場となりました。

各国から日本を訪れたIOC委員たちは、超短期間で行われた工事とその完成度の高さに驚いたといいます。

IOC会長から日本はオリンピックを開催する資格があると太鼓判を押された政治は、オリンピック招致に向けて、万全の体制を整えようとIOC委員である東を東京都知事にと画策します。

東の家族は政治の夢に東を巻き込むな、と政治に詰め寄るのですが、東本人が東京にオリンピックを招致したい、と強く願い、家族に応援を頼んだ事で、家族は理解を示し、東は東京都知事に出馬し見事当選しました。

東京にオリンピックを招致するには、あとはIOC総会にて最終スピーチを残すのみとなっていました。

しかし、直前に行われた運動会で最終スピーチ担当者がアキレス腱を切ったため、最終スピーチ担当者を変えねばならない事態に陥ってしまいました。

政治のオリンピック噺を聞いても平沢が出した問題が解決されたわけでもなく、いまいちオリンピック開催に賛成できない平沢でしたが、政治たちがなぜこんなにもオリンピックにこだわるのか、興味をもちました。

すると政治は、アジア各国で非道なことをしてきた日本人だからこそ、皆が驚き・喜ぶ面白いことを、オリンピックをやりたい、やらなければならない、と政治たちの気持ちを伝えたのです。

平沢は、生前の嘉納と「一番面白いことは何か」と話し合ったことを思い出しました。

嘉納は、「皆が驚き喜ぶ東京オリンピックを見事やり遂げること、これこそ一番」であると語っていました。

「面白いことならばやりましょう」と平沢は最終スピーチを引き受けたのです。

平沢のスピーチは、日本の小学6年生の教科書に載っていた「五輪の旗」という読み物を軸にしたアピールをして、各国IOC委員の気持ちを掴み、見事開催権を獲得することができたのでした。

前回第40回「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見逃した方はぜひこちらをどうぞ。

いだてん~東京オリムピック噺~第40回「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のネタバレとあらすじと感想

それでは第41回、「おれについてこい!」のあらすじと感想です。

東京オリンピック事務局 始動

これまで明治大正昭和と古今亭志ん生(ビートたけしさん)と五りん(神木隆之介さん)が交互に語ってきた東京オリンピック噺でしたが、とうとう1964年に開催される大会が東京に決まりこのお話は現在進行形のお話となりました。

未だ自宅療養中の志ん生の代わりに、五りんは今日も高座で話し始めます。

1959年、政治念願の東京オリンピック開催が決定されました。

国立競技場からほど近い洋館に組織委員会事務局を開設、政治は運営の責任者にしてオリンピックの司令塔とも言える事務総長に就任しました。

渉外担当には岩田幸彰(松坂桃李さん)、式典担当には盟友・松澤一鶴(皆川猿時さん)、選手村の食事担当は帝国ホテルの料理長・村上信夫が担当します。

この洋館はオリンピックの最前線、政治の黄金時代の到来です。

しかし、オリンピックに一枚噛もうとする政治家が殺到する騒ぎが起こりました。

オリンピック組織委員会発足式にて、本来ならば厳選されたメンバーが集まるはずだったのですが、自民党幹事長である川島正次郎(浅野忠信さん)の一存で追加メンバーが増え、政治ら事務局員たちは困惑していました。

川島正次郎は、戦前戦後にわたって活躍し、岸政権、池田政権、佐藤政権を支えた政界のナンバー2。キングメーカーとして活躍した大物政治家です。

NHK公式ホームページでは、

背広のポケットに手を突っ込んで口笛を吹きながらさっそうと歩く姿から「陽気な寝業師」ともいわれた

と紹介されています。

組織委員会会長には元大蔵大臣の津島寿一(井上順さん)が就任しました。

組織委員会発足式で、政治は中心に座り、記者にこれまでの経験を活かしてオリンピックを成功させると高らかに宣言しました。

しかし、そんな政治に対し、川島は不快な表情を浮かべていました。

オリンピック競技種目選定

開催国として日本がメダルを取れる種目を考える必要があるとして、政治は選手強化対策本部長をかってでました。

大会組織委員会として、まずやるべきことは大会競技種目の選定です。

陸上・水泳・レスリング・重量挙げ・体操に加え、松澤は柔道を正式種目にしたいと提案します。

しかし政治が目をつけているのは女子のバレーボールでした。

大阪にある日紡貝塚の女子バレーボールチームが非常に強いと聞き、政治は視察に出かけました。

鬼の大松と呼ばれる大松博文(徳井義実さん)コーチのもと、女子選手たちは練習に励んでいました。

視察としてその練習を見ていた政治たちは、余りにも厳しい練習と厳しい言葉に驚きました。

大松は戦時中インパール作戦に従事し、悲惨な戦場から生還し上海で終戦を迎え帰国した復員兵でした。

会社の命令で5年前に女子バレーボールチームの監督に就任。

徹底したスパルタ式のハードトレーニングを行い、日紡貝塚を最強チームへと導きました。

大松は選手たちと打ち解けるために選手全員をニックネームで呼んでいるのですが、顔が似ているから「ウマ」などというニックネームのつけ方に政治らは眉をひそめました。

同行していた岩田は大松の軍隊のような指導方法に反対、政治は大松を体育館から連れ出し、柔道場へと誘いました。

大声を出さず黙々と粛々と練習に励む選手たちの練習方法を見せ、大松のように威嚇したり大声を出さずに練習していると大松を諭そうとしたのですが、受け身を取る選手たちを見ていた大松は、バレーボールの守備に使えると目を輝かせていました。

選手村建設問題

組織委員会の議題として、選手村の場所について話し合いが行われました。

世界からやってくるおよそ1万人を受け入れる選手村です。

進駐軍はだいぶ引き上げましたが、米軍のキャンプは東京にまだ複数残っています。

政治たちはいずれかの米軍キャンプをアメリカから変換してもらい、選手村として活用しようと考えていました。

政治が候補として上げたのは代々木のワシントンハイツ。

国立競技場から1Kmの距離にあり、オリンピックの興奮と歓声が冷めないうちに到着できる距離にある場所です。

しかしそこは敗戦以降米軍将兵とその家族が実際に暮らす街でした。

明治神宮に隣接する92万平米の広大な敷地は言わば日本の中のアメリカでした。

東京都知事の東龍太郎(松重豊さん)は、米国に掛け合っているのですが、米国の返事は埼玉県の朝霞ならば返してもいい、という返事だというのです。

組織委員会の会長である津島は、米軍に無理を通すより広大な土地を持つ朝霞を活用しようと考えました。

結局、津島の意向により選手村建設は朝霞に決まり、政治は不満を漏らしていました。

東京オリンピックシンボルマーク決定

次に取り掛かるのはオリンピックのポスターです。

政治は画才があると思っていた岩田に全面的に任せていたのですが、実は岩田は不器用で困り果てた岩田がマリー(薬師丸ひろこさん)に紹介してもらったグラフィックデザイナーの亀倉雄策(前野健太さん)に依頼していたのです。

亀倉はオリンピック招致に一役買ったパンフレットの表紙から数多のポスター、企業のロゴマークを手がける新進気鋭のアーチストでした。

政治はオリンピックの総合デザイン顧問を亀倉に依頼するのですが、亀倉は難色を示します。

それでも食い下がり、政治がオリンピックの象徴となるような何かが欲しいと亀倉に言うと、国民にとっての旗印となるような東京五輪独自のシンボルマークを作ろうと亀倉は提案しました。

しかし、そう提案したくせに指定日に亀倉の作品は提出されていませんでした。

締切直前、岩田に急かされてバーローズで描いたポスターは大きな日の丸が印象的なデザインでした。

ひと目で人をひきつけるその斬新なデザインは、東京オリンピックのシンボルマークとなりました。

さらに、ベルリンオリンピック以来世界中から注目されている記録映画の制作に、政治が熱烈にオファーをしていた黒澤明(怒髪天・増子直純さん)が名乗りを上げたのです。

一方、御年68歳となった金栗四三(中村勘九郎さん)も嘉納治五郎と交わした約束を果たすため東京オリンピックの聖火リレー最終ランナーを目指して熊本から上京してきました。

これでますます東京オリンピック熱が盛り上がってきた、と思いきや、テレビの中は安保の話ばかりでオリンピックの話題は全くと言って取り上げられていませんでした。

組織委員会事務局にて、「俺のオリンピック」という政治の言葉を聞き国立競技場の模型を持ってきた秘書の岩田は、実は商社マンが本業でした。

かつて岩田は、ヨット部に所属し、1940年の幻のオリンピックを目指していたといいます。

戦時中は上海に渡り、ヨットの経験を活かし軍艦への特攻を研究していました。

上海で終戦を迎え、戦後のヘルシンキオリンピックで日本代表に選ばれたものの、健康診断で肺に影が見つかり代表から外されてしまいました。

自分のオリンピックは終わっても、こういう形で関われて嬉しい、と話す岩田に、政治は商社を辞めてオリンピック専属職員になって欲しいと頼みます。

戸惑いを見せる岩田に、政治は1年間ローマに行って徹底的にオリンピックを視察して、そこで盗めるものは全て盗んで東京オリンピックを盛り上げて欲しいと頼み込みました。

政治の意向で岩田と村上は1年間ローマに行くことになりました。

岩田は直前にあるローマオリンピックを、スタッフの一員として1年に渡り研究したのです。

そして政治は再び大阪に渡り、日紡貝塚を訪れました。

すると、柔道の受身を参考にした回転レシーブを完成させた選手たちの姿を見たのです。

東京に戻った政治は競技種目選定に入りました。

日本がメダルを取るには柔道かバレー、という意見が出て、皆は柔道を推すのですが政治は盛り上がるのはバレーボールと主張します。

しかし、そんな政治の頭に「ちっちっちっ、たーばーたー」と呼ぶ声が響いてきます。

気になるものの、柔道は日本発祥、勝って当たり前、バレーボールという米国発祥のスポーツで勝つことに意味が有る、と持論を展開していた時に、政治の背後にあった嘉納の肖像画が音を立てて傾きました。

政治は嘉納が怒っていると感じ、柔道に意見を変え、柔道はIOCローマ総会で東京オリンピックの正式種目と決定されました。

ローマ大会視察報告会

帰国した岩田はローマオリンピック視察の報告会を行います。

色彩豊かで華やかなオリンピックだったと絶賛する岩田。

世界38か国5000人もの選手が参加した大会でした。

選手村の厨房は10か所に分かれ、欧州やアジアから数百の料理人が集結し、5000人の食事を担当していましいた。

視察した村上は東京の問題は中東のエスニック料理と指摘しました。

宗教上食べられない物もあるため、村上はすぐに試作に入ると言います。

マラソンのアベベに感動した岩田は、エチオピアの英雄、裸足で走るアベベを懸命に応援した話を披露しました。

日本選手団は体操で4つの金メダルを獲得していました。

政治は閉会式の映像に感動していた松澤に演出プランを尋ねるのですが未だ白紙と言うのです。

政治は映画監督の黒澤のプランを話し、松澤にハッパをかけます。

その話を聞いた東は、記録映画を依頼したはずの黒澤がなんで開会式の演出を考えているのか、と疑問を投げかけました。

岩田も、黒澤の見積もり予算が20億ということに頭を抱えていました。

しかし、そんな黒澤に政治は黒澤が20億というなら25億出そうと太っ腹なことをいいます。

ローマの財源はなんだったかと聞く政治に、政府からの援助は1銭もなく、費用は全てトトカルチョで賄ったと岩田は話しました。

トトカルチョとはいわゆるサッカーくじで、収益の25%をスポーツの振興に当てるというヨーロッパでは当たり前の仕組みで費用を捻出していました。

政治たちもトトカルチョをやろうと意見がまとまるのですが、政治家たちが集まる討論会で猛反対を受けてしまいます。

組織委員会との対立

委員会会長の津島は「博打のテラ銭の如く汚い金で神聖なオリンピックを賄うとは」と怒りを顕にしました。

川島も、これがスポーツの連中の考えることか、と嘆き始めます。

政治がヨーロッパの常識だと反論しようとしても聞く耳を持ちません。

川島 「いいか?政府はオリンピックに対して十分な予算を出すと約束したはずだ」

政治 「それが足りないから頭を使ってるんじゃんね」

川島 「黙れ黙れ、黙れと言っているのがわからんのか」

政治 「あんたらは少しでも安く上げれば手柄だと思ってんだろ、違う違う、画期的なものをやってんだよ、こっちは、なあ。お役人風情が口を挟むんじゃないよ」

と激しい言い争いとなってしまいます。

しかし政治家から非難され、政治は「トトカルチョ却下ね」と引き下がります。

次に、選手村の議題となり、東は埼玉県と建設省と最終交渉をしていると報告しますが、政治は朝霞では遠すぎる、代々木がいいと主張します。

朝霞ならば金はかからない、という津島に対し政治は「二言目には金、金、金、あんたら選手のことについてなんにもわかってないね」と激しく反論します。

岩田に「俺のオリンピック持ってきて」という政治の言葉に川島が反応しました。

川島 「貴様のオリンピックではない、いいか田畑、はき違えるな、これは日本のオリンピックだ、国民のオリンピックといってもいい、変わるんだよ、日本は、このオリンピックで。諸君のようなスポーツ関係者だけで勝手に盛り上がるようなら、金輪際政府は手を引く、そのつもりでいたまえ」

政治 「国民のオリンピックとおっしゃいましたな、幹事長、大いに結構、大賛成。だったら渋滞何とかしてくれよ。国民の生活もっと豊かにしてくれよ。国民の1人1人がさ、俺のオリンピックだって思えるように盛り上げてくれよ、先生方!功名心で組織委員会に名を連ね、記者が集まる公開討論にしか顔を出さん、そんな役立たずの役人や政治家は出てってくれ」

政治と川島の対立は激しくなる一方でした。

東京オリンピック開催競技決定

政治は建築家として広島記念公園を手がけた建築家・丹下健三(松田龍平さん)に代々木競技場の屋内プールの設計を依頼していました。

丹下は政治のことを信頼しており、政治に頼まれたら手を抜けない、と素晴らしいデザインのプールを設計していました。

ギリシャアテネで開かれたIOC委員会にて、平沢はオリンピック競技種目についてスピーチをしていました。

平沢の巧みな英語技術と話術、時折見せるはにかんだ笑顔により、男子バレーボールが正式種目として認められました。

女子の承認には至らなかったのですが、政治は日紡貝塚の大松に男子バレーボールが正式種目になったと連絡しました。

メダルを取れるのは女子、と大松は反論し、政治も総会はまだ来年もある、と女子バレーの承認に望みをかけていました。

政治が総会会場に戻ると、会場が騒然としていました。

バレーの代わりに近代5種を外すというと、各国のIOC委員から非難が上がってきたのです。

日本では近代5種は人気がない、と政治は言い、平沢に言わせようとするのですが平沢は言葉を選び、IOC委員たちを説得します。

平和の祭典 オリンピック

大変なスピーチを終えた平沢は「もう勘弁してください」と政治に訴えるのですが、政治はもう一度だけ頼む、と平沢に代々木に選手村を建設する助力を頼みました。

なぜ、そこまで代々木に拘るのかと尋ねる平沢と岩田に、政治は説明を始めました。

会場から選手村まで、朝霞だと1時間はかかります。それを5分にするのが開催国の矜持だと政治は言うのです。

「スタジアムの興奮が冷めない距離でないとダメなんだ」と政治は力説します。

ロスの選手村は最高だった、と政治は振り返りました。

選手の記憶に刻まれるのは選手村で過ごした時間なんだ、それを感じて欲しくて、君を1年間もローマに送り込んだ、と政治は岩田に話しました。

「いい経験だったろう?」と言われた岩田はローマ大会のアベベを思い出しました。

イタリアの凱旋門はかつてエチオピアを攻撃する軍隊を送り出した門です。

攻め込んできたイタリア軍にエチオピアは裸足で立ち向かい、敗れました。

その凱旋門をエチオピア代表のアベベが通り抜ける、拍手と声援を受け、彼はまだ走れるとばかりに足踏みをしていたと岩田は思い返していました。

これが平和か、これが政治の言うオリンピックなのかと、岩田は感動したといいます。

政治はそれを肯定しながらも、名も無き予選で敗退する選手ですら生涯自慢できる大会にしたい、熱弁します。

「共産主義、資本主義、先進国、途上国、黒人、白人、黄色人種、ぐっちゃぐちゃに混ざり合ってさ、純粋にスポーツだけで勝負するんだ。終わったら選手村で讃え合うんだよ。そういうオリンピックを東京でやりたい。あくまで俺は代々木に拘る。代々木でなきゃダメなんだ」

そう主張する政治に、平沢は「私に考えがあります」と語り始めました。

その頃、川島は東を呼び出し、津島と上手くいっていないようだ、と語りかけました。

お互い畑が違うが不仲ではない、という東に「しっかりしてよ、都知事」と川島は黒い笑顔を見せるのでした。

次回、第42回「東京流れ者」

理想のオリンピックを開催するため、奔走する政治。

しかし、アメリカから巨額を請求されてしまいます。

資金繰りが難しくなる中、政治は所得が倍増する起死回生の策を思いつきました。

政府の思惑に振り回される政治に川島の魔の手が忍び寄ります。

理想のオリンピック実現に向けて力を尽くす政治と、政治に協力する人々にぜひ頑張って欲しいと見ていて力が入ってしまいますね。

浅野忠信さん演じる川島の黒い微笑みが不気味で何とも言えない不安な気持ちになってしまいます。

政治の身に一体何が起こるのでしょうか。オリンピックは無事に開催できるのでしょうか。

ハラハラドキドキの展開!

次回、第42回は「東京流れ者」です。見逃せませんね。

いだてん~東京オリムピック噺~第42回「東京流れ者」のネタバレとあらすじと感想