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軍師官兵衛 第34回「九州出陣」のネタバレとあらすじと感想。

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「軍師官兵衛」は、2014年1月5日から12月21日まで放送された大河ドラマです。

2018年4月より、NHK BSプレミアムで日曜昼12時からの大河ドラマアンコール枠で再放送されています。

2018年11月18日に放送されたのは、第34回「九州出陣」です。

前回、全国に「天下惣無事」を出し、争いごとを禁じた豊臣秀吉(竹中直人さん)。

九州統一を目指す島津は、豊後のキリシタン大名大友宗麟は、これに耐えられなくなり、関白秀吉にすがりました。

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秀吉は求めに応じ、支度が整うまでの間、黒田官兵衛(岡田准一さん)に時間を稼ぐよう命じました。大友宗麟は同じキリシタンの官兵衛を頼りました。

前回の第33回「傷だらけの魂」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。
https://tg-drama.com/kanbei-033/

それでは、第34回「九州出陣」のあらすじと感想です。

目次

小六死す

大坂天満の黒田屋敷では、官兵衛が中国毛利と一緒に一足先に九州豊前に入ると宣言。善助(濱田岳さん)、太兵衛(速水もこみちさん)、九郎右衛門(高橋一生さん)が一緒に行き、長政(松坂桃李さん)は又兵衛(塚本高史さん)と共に大坂に残り、秀吉の側にいて、大坂の様子を官兵衛に逐一知らせる役目になりました。

そして蜂須賀小六(ピエール瀧さん)は黒田に呼応し、四国勢を率いて九州入りする事になりました。7月に出立、兵は3000です。

しかし小六が倒れたとの知らせが入り、光(中谷美紀さん)、糸(高畑充希さん)も連れて全員で蜂須賀家にお見舞いに行きました。

小六は体調が悪く、官兵衛は休むよう言いました。

小六は中国大返しを懐かしみ、「痛快であった。あんなことは二度と出来んのう。」と言います。次に長政に糸の事をよくよく頼むのでした。

官兵衛は「小六殿が元気にならねば、豊臣の天下統一もおぼつきませぬ。」と励ましました。

しかし天正14年5月22日。蜂須賀小六は亡くなりました。秀吉が駆けつけ、頬を叩いて起きるよう言い、反応がないのを見て大泣きして小六の死を悲しみました。

小六は秀吉とずっと一緒にやって来た仲間の一人でした。官兵衛とも、半兵衛亡き後一緒に調略に向かうなど、軍師の役割を一緒にしてきた仲でした。子ども同士の結婚で親戚にもなり、とても濃い関係の人でした。残念でなりません。早い死でした。

妹を人質に出す秀吉

小六が亡くなって、秀吉を支える古株は秀長(嘉島典俊さん)と官兵衛だけとなりました。小六に四国勢を仕切ってもらう予定だったので、秀吉は一から考え直さなければいけませんでした。

官兵衛は、秀吉の出陣は東の徳川家康(寺尾聰さん)が上洛してからがいいと進言。しかし三成(田中圭さん)は、家康は家臣の石川数正に裏切られてばかりだから、家中が乱れている。こちらに攻め入る余裕はないと読みます。

対して官兵衛は、小牧長久手の戦いで勝利した三河衆なら、仲間の裏切りによってかえって家中が結束は強くなっているはず、と読み、「戦わずに上洛させるしかあるまい。それには殿下の度量の大きさを示し、この男には逆らえないと得心させるしかありませぬ。」と意見しました。

官兵衛の考えを聞いた秀吉は、正室がいない家康に実の妹、朝日を嫁がせる事にしました。それでも家康は上洛しませんでした。

なんの結果も生まなかったように見えましたが、官兵衛は、結婚を受け入れたという事は、徳川には事を構える気はないとみました。

いよいよ出陣です。7月25日と決まりました。

毛利も小早川隆景(鶴見辰吾さん)と吉川元春(吉見一豊さん)の両川が出陣の構えとのこと。今回は、毛利全軍での出陣が秀吉の命令でした。

光(中谷美紀さん)は、大坂の屋敷で官兵衛を見送ったあと、糸(高畑充希さん)と一緒に播磨に戻ることにしました。

吉川が出陣拒否

安芸新荘の吉川元春の屋敷では、小早川が吉川に九州へ出陣するよう説得していました。しかし、吉川は「毛利が秀吉の家臣となって働くのは、生き残るためにやむを得ぬやもしれぬ。しかし、このわしまでもが秀吉に膝を屈し、奴のもとで働いては、死んでいった者らに申し訳が立たぬ。」と、隠居して好きな書を読んで余生を過ごすと言って出陣を拒否していました。

安芸の吉田郡山城に入った官兵衛は、九州の絵図を見せながら小早川と安国寺恵瓊(山路和弘さん)に4,5日の内に出陣をと頼みました。が、二人は答えを濁しました。

吉川が出陣を拒否していると見抜いた官兵衛は、「吉川元春、小早川隆景、毛利両川揃っての出陣を殿下はお命じです。小早川様、時がございませんぞ。」と吉川を説得するよう迫りました。

九郎右衛門が周辺を調べ、吉川元春が隠居して屋敷にこもりっきりであること、さらに毛利全体の兵の士気も下がり気味だという事が分かりました。

その頃豊後の大友宗麟は、家臣たちが毛利の援軍がくるのかと心配になっているのをみて、「もうすぐ黒田官兵衛が来る。あの男が必ず何とかしてくれる。」と言って落ち着かせていました。

対して島津義久(永澤俊矢さん)は連戦連勝で来ており、あと大友の譜代の城のみ。と九州平定へと勢いづいていました。

吉川を説得

官兵衛は兵を下関まで進めて、毛利の出陣を待っていました。いまだ吉川が動く気配がなく、太兵衛が、黒田と小早川勢だけで戦おうとまで言い出しました。しかし善助は勝つ為には吉川を動かすしかないと太兵衛の意見を押さえました。

そこへ九郎右衛門が戻って来て、吉川が重い病で、出陣も無理である事を掴んできました。

恵瓊に招かれて小早川を待っていた吉川のところに、「お初に御意を得まする。黒田官兵衛にござる。」と挨拶し、官兵衛がやって来ました。「隆景はどうした?わしをたばかったか?」吉川は怒りました。

官兵衛はすぐに謝りましたが、吉川には官兵衛の言いたいことは分かっていて、先に「わしは行かぬ。」と言いました。

殺されてもいいと言う吉川に「吉川様お一人のお命で済むとお思いか?毛利本家とて無傷とはいきませぬ。」と脅す官兵衛。しかし吉川高松城で清水宗治を死に追いやった官兵衛を、吉川は信用せず立ち上がりました。

病かと聞く官兵衛に「そうじゃ、わしはもう長うはない。それゆえに出陣は出来ぬ。それでよかろう。」と言って吉川はそのまま逃げようしました。

「命には使い道がございまする。ここぞという時に使わねばなりませぬ。清水宗治殿は己の命の使い時をご存じだった。あの方は己の命と引き換えに幾万の将兵の命をお救いになった!天下の為に、命をお使いいただきたい!」と怒鳴るように説得する官兵衛です。

「今がこのわしの命の使い時だと申すか?」吉川が聞くと「吉川様のそのお命、この官兵衛に下され!」と返す官兵衛。吉川は笑い「この元春に面と向かって死ねと申すか!面の皮の厚い男よ!」と言って怒ります。

「ありがたき幸せ。」官兵衛が言うと、「己の命の使い道は自分で決める。」と言い、吉川は去っていきました。

母も差し出して家康を上洛させる

大坂にいた秀吉のもとにも、毛利の説得に時間がかかっていることが伝わっていました。しかも東の徳川も、妹朝日を嫁がせても上洛してこないままでした。

家康が上洛しない事には九州に行けない秀吉は、とうとう最後の手段として実の母、大政所を人質に差し出しました。

このことでやっと家康は大坂城に来て、秀吉に頭を下げたのでした。

昨年の「おんな城主 直虎」では気の弱い家康でしたが、「軍師官兵衛」の寺尾さんの家康は腹黒です!もっとも、「直虎」では秀吉時代は全く描かれてなかったので当然このやりとりもやっていませんでした。

実際、阿部サダヲさんの家康ならこの何度かの人質交渉をどう描いたのでしょうか?と考えてしまいます。

吉川出陣!

出陣の日、官兵衛は毛利勢を待っていました。約束の時間を過ぎて、まずは恵瓊と小早川。そして遅れて足元がおぼつかないままの吉川がやって来ました。

吉川が「のんびり隠居所で過ごそうかと思うておったが、そうやすやすと死ねぬようじゃ。官兵衛、この命お主にくれてやる。」と言うと、毛利勢の士気が一気に上がり、出陣となりました。

10月。九州に渡った黒田、毛利の両軍は、豊前宇留津城で島津と激突し、優勢となり島津が退き始めました。島津義久は隠居した吉川が出陣したことに動揺していました。

大友宗麟が官兵衛にお礼を言いに来ました。しかし官兵衛は「島津はこれで引き下がるとは思えませぬ。戦は始まったばかりでございます。」と言うのでした。

豊前小倉城で、吉川元春は死の床についていました。吉川は小早川に「わしのわがままでお前には迷惑をかけた。」と謝ります。小早川は「毛利の今日があるのも、兄上の一徹さあってのこと。これまでよくお働きになられた。」と返しました。

そこへ官兵衛も現れて吉川は「わしの命、役に立ったか?」と聞きます。官兵衛は吉川のもとに近寄り「はい。大いに。」と答えました。

吉川は小早川に毛利を託し、この世を去りました。

官兵衛は、別所長治、清水宗治そして今回は吉川元春と命を差し出せと言う、なんとも恐ろしい人です。

そして九州攻めが始まりました!この九州に黒田家は根をおろしていきます。

戦いはこれからです!

次回、第35回「秀吉のたくらみ」です。


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