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おんな城主 直虎。中野直之の生涯について。

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NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、矢本悠馬さん演じる中野直之。

井伊家の家臣で常に直虎の側にいる、機転もきいて腕も立つ、実に頼もしい家臣ですよね。

はじめの頃は、直虎を認めようとせず、事あるごとに反発。このまま相容れることはないのかと心配してしまいました。しかし、徐々に直虎を認めるようになり、今では実に忠義に厚い頼もしい家臣になっています。

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さて、この中野直之という人物は、一体どんな人物だったのでしょうか?

目次

中野家とは

この時代、次男以降にも遺産(土地)が与えられる「分割相続制」により、井伊家でもたくさんの庶子家(宗主の弟を始祖とする分家)が生まれることになりました。

中野家は井伊家の庶子家で、18代井伊忠直の次男・直房が初代中野家の始祖となりました。

直虎の曽祖父・直平の叔父にあたります。

庶子家の多くは地名を付けることが多いのですが、「中野」という名字には井伊家本拠の「井伊谷の中心」という意味がありました。中野家の屋敷も井伊家の居館の東隣に隣接していたそうです。

父・中野直由

「おんな城主 直虎」では、筧利夫さん演じる直之の父・中野直由。

この直由は、井伊家の重臣として井伊家を支えています。桶狭間の戦いで、22代直盛が討ち死にした時、養嗣子・23代井伊直親の後見役として指名されました。

この時、小野政次は井伊谷横領を企んでいたとされており、それを危惧した直盛が直由を指名したのです。別名は越後守でしたが、20代井伊直平(直虎の曽祖父)の采配により、かつて直平や直盛が称した信濃守を名乗ることになりました。

これにより、政次の専横を防いだと言われています。

1563年、直親が殺害された後も引き続き井伊氏の後見役を務めました。

1564年、曳馬城主・飯尾連龍が今川氏を離反し、直由は今川氏真により新野親矩と共に曳馬城を攻撃するよう命じられました。

直由は今川勢2千を加勢に曳馬城を攻撃。天間橋という所で、新野親矩と共に討死してしまいます。

井伊谷の城代を務めていた直由が討死してしまったため、井伊谷の城は無主状態となり、家督を継ぐ者がいなくなってしまいました。

この時、23代直親の嫡男・虎松(わずか2歳)は、小野政次に命を狙われ身を隠してしまっていたので、直盛の後家・祐椿尼と龍潭寺の僧侶・南渓瑞聞(直平の子・養子とされている)が協議し、「おんな城主 直虎」が誕生しました。

井伊家の支え、中野直之

直由の死後、直之は父の後を継ぎ、直虎の重臣となります。

今川家の目付としての役割を持つ小野政次とは違い、直之は井伊家の親戚でもあるので井伊家をとても大切に思っていたようです。
直虎を主と認めてからは、直虎をよく支えていました。

1575年、虎松(のちの直政)が徳川家康に会う時、直之は虎松の護衛をし、浜松城に赴きました。そこで虎松は家康に認められ、そして、井伊家再興が認められたのです。

直之はその後、井伊直政に仕えました。

1600年、上野国高崎城城主で12万石を領し、徳川四天王の1人となった井伊直政は、関ヶ原の戦いの戦功により18万石に加増、石田三成の居城であった佐和山城を入封。立藩しました。その時、直之は家老として直政に仕えています。

その後の中野家

1605年、直之が没すると嫡男・三考(三信)が家督を継ぎ、井伊家の家老として1500石になっています。次男・一定は、直親の妻が再嫁した松下清景の養子となりました。

虎松が井伊家を再興し、井伊直政になってしまったため、松下家は後を継ぐ者がいなくなりました。これにより一定は松下家の養子・松下一定となり、兄と同じく直政の家老になりました。

これ以後も中野家は井伊家を支える重臣として活躍していくのです。

最後に

忠義に厚く、私心を捨て井伊家を守った中野家。

激動の時代、井伊谷を奪われ、再興への道のりを辿る中、直之をはじめとする井伊家家臣たちは主君に忠義を尽くし、よく支えました。

井伊家を守る、繋げていくという強い気持ちで最悪の時代にあっても、主君・直虎や直政に尽くしたのでしょう。

直虎の没年は1582年。直之はその後20年も生き続けています。直虎はまだ15歳の直政が徳川家康に見出され、井伊家再興の道筋が立ったことに安心したでしょうが、それ以上に、今後の井伊家、直政のことを考えれば不安も恐れもあったことでしょう。

しかし、中野直之という頼もしい忠義の臣に、井伊家の行く末を任せられたことで、直虎は龍潭寺にて安らかに眠れたのではないでしょうか?

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