ドラマでは龍潭寺の住職・南渓和尚は、幼少期「おとわ」の頃から、城主として「直虎」になってからも、彼女に様々な助言をし、導いていきます。

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この南渓和尚、そして龍潭寺とは井伊家とどんな関係なのでしょうか?

龍潭寺の成り立ち

龍潭寺は井伊谷・現在の浜松市にあり、平安時代から続く由緒あるお寺です。

行基という高僧によって733年に開かれました。当初は地蔵寺という名前でした。

その後、寺のある井伊谷を井伊家が治めるようになり、1093年に井伊家の元祖・共保が葬られます。以後、名前を自浄寺とし、井伊家の菩提寺として深い関わりを持っていきます。「おんな城主 直虎」第1回「井伊谷の少女」でもエピソードがありましたが、井伊家の元祖・共保の生誕伝説のある井戸が、境内にあります。

さらに時は過ぎ、戦国の世、ドラマ「おんな城主 直虎」の時代となります。直虎の父、直盛が1560年桶狭間の戦いで討ち死にして葬られた際、名を龍潭寺と改めました。

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南渓和尚の出自

小林薫さんの演じる南渓和尚。当初ドラマでは、猫を抱いてひょっこりと現れ、お供え物のお酒を盗み飲む、ナマグサ坊主のような存在でしたね。いったいどのような人物なのでしょうか?

もともとは井伊家の出身で、井伊直平の弟(養子だったとする説も)、直虎の大叔父に当たります。武家の次男以降の男子が出家するのは、珍しいことではありませんでした。

兄弟間での相続争いを避けるため、一族の殺生の罪を贖うため、またはもし長男が亡くなったときに還俗させて家を継がせるためなど、様々な理由があったようです。

南渓和尚は井伊家にトラブルが起こった際、知略と外交力で活躍します。直親を信濃へ逃したり、おとわを次郎法師という名で出家させ、やがて直虎として国を継がせたりする、などの知恵はすべて南渓和尚によるものでした。

井伊家にとって参謀と言える存在で、南渓和尚無しでは井伊家は途絶えていたといっても過言ではありません。また今川義元の葬儀を任されるなど、僧侶としても影響力が高い存在だったようです。武芸の達人でもあった、とも言われています。

彼が井伊家の当主になっていたら、今川家とうまく外交折衝して、領主が次々と計略で殺されるということも無く、井伊家はもっと盛り立てられていたかもしれませんね。しかし、それでは「おんな城主」が誕生しませんけれども。

寺の僧、傑山(けつざん)と昊天(こうてん)

龍潭寺には、武芸を磨く僧が多くいました。「おんな城主 直虎」では、傑山、昊天という僧が活躍しています。駿府への旅路などで、直虎のボディーガードのように付き添っていますね。傑山は弓の名手、昊天は長刀の達人だったそうです。

僧侶なのに弓や長刀が上手?というと不思議に思いますよね。しかし平安時代から戦国時代まで、お寺には自衛として、僧衆、悪僧と言われる武装した僧がいるのが普通でした。

例えば戦国時代、比叡山の延暦寺には僧兵が数千人いたと言われています。しかし勢力が大きくなりすぎて、織田信長に焼き討ちされたことは有名です。

江戸以降は幕府の統制により、寺院が武力を持つことは無くなりました。

市原隼人演じる傑山は、イケメンで男らしい役柄。小松和重演じる昊天は、クールな頭脳派。対象的ですが、いいコンビの2人として描かれています。

やがて直親の子・虎松は、成人して直政として井伊家を継ぎます。そして徳川家康の家臣として小牧・長久手の戦いに参加。そのとき傑山と昊天も戦力として大いに手柄を挙げ、直政の武勲を支えます。

僧も普通に戦争に参加していたなんて、やはり今とはちょっと感覚が違います。「仏法守護のために武力は必要」という理論で、必ずしも不殺生戒が守られてはいなかったようです。

傑山と昊天は、南渓亡き後、龍潭寺住職の座を継ぐこととなります。龍潭寺のホームページには、南渓和尚とともに、傑山の肖像画が載っていますよ。

龍潭寺歴代住職(南渓和尚と傑山の肖像がはこちらをクリック!

現在の龍潭寺

龍潭寺は現在も続いており、井伊家24代直政までのお墓があります。

井伊家は江戸時代に彦根藩に転封となり、そちらにも龍潭寺を分寺しました。直政以降のお墓はそちらにあります。

直虎のお墓もあり、なんと元婚約者の直親のお墓の隣に並んでいます。

井伊家元祖の伝説の井戸もありますし、山門から境内まで桜や藤など様々な花が楽しめます。

浜名湖の北に位置する龍潭寺。直虎ファンならばぜひ一度足を運んではいかがでしょうか。