2017年の大河ドラマは「おんな城主 直虎」ですが、そもそも井伊家の誕生とはどんなものであったのでしょうか?

また、2017年にBSプレミアムでアンコール放送されている「風林火山」や2016年の「真田丸」、2014年の「軍師官兵衛」、さらには他の大河ドラマや映画でも戦国大名の活躍のお話しは、私達の興味を引きつけます。

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そこで、戦国大名とは、いったいどのようなものなのでしょうか?

また、井伊家はどのように誕生したのでしょうか?

そもそも戦国大名とは?

私たちは学校の歴史の授業で「戦国大名」について習ってきますが、そもそも「戦国大名ってなに?」という疑問を抱いたことはありませんか?

まずは、戦国大名についてです。

戦国大名とは、戦国時代に各地域の郡や国を支配領域とする地方政権の主宰者です。

室町幕府の将軍から代官といて派遣されて国を管理する支配者を「守護大名」と言いますが、15世紀後半から16世紀前半に、この「守護大名」が争い始める中で戦国大名が登場してきます。

例えば、小田原を拠点に関東に力を持った戦国大名・北条氏の祖である北条早雲(伊勢新九郎)は、堀越公方の内紛に乗じて伊豆を制圧し、ここを拠点として小田原を攻め取りました。

つまり、日本列島中が争いに明け暮れている中で、天皇や将軍の権力が及ばない独自の勢力を築いたのが「戦国大名」なのです。

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井伊家の誕生

それでは、井伊家について見ていきましょう。

井伊家は、江戸時代に徳川将軍家の譜代大名として君臨し、大老を輩出するなど絶大な権力を持った家柄です。そのルーツは、どのようなものでしょうか?

遠江国引佐郡井伊谷(現・静岡県引佐郡引佐町)の在庁官人の子孫が、井伊家の始まりです。

在庁官人とは、平安時代から鎌倉時代にかけて、国衙(こくが:国の政庁)で政治の実務を行なった役人のことです。

『越後与板井伊家譜』によると、平安時代に藤原冬嗣の6世孫である藤原共資が遠江守に任ぜられて赴任し、共資の子である藤原共保も遠江守に任命されました。藤原共保も現地に赴任しますが、住んだ所が井伊谷でした。それが縁で、共保は「井伊氏」を称します。

藤原共保の出生には、伝説があります。

ある年の正月元日に、井伊谷の八幡宮にある井戸から赤子が生まれたそうです。遠江守共資は、この子を宮司よりもらい自らの子供としました。この子供が共保だそうです。

この井戸のお話しは、「おんな城主 直虎」にも登場時、重要なポイントとなっています。

鎌倉時代、共保の子孫である井伊道直は保元の乱に際して後白河天皇に味方して功を挙げました。南北朝時代には、井伊道政が後醍醐天皇に呼応します。宗良親王を奉じて井伊谷城を拠点に挙兵しました。道政の子である高顕も勤王の志が厚い人物であったそうです。

このように、井伊谷で力を持った井伊家ですが、戦国時代に入って今川氏という強大な戦国大名を相手にしますが、力及ばす従属することになるのです。

最後に

いかがでしたでしょうか?

井伊家は主に江戸時代になって、そのルーツを記すようになったので、真偽のほどはわかりませんが、現存する史料からは藤原氏がルーツであることが掴めます。

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、戦国時代の井伊家が描かれています。

井伊直平以来、今川氏に従属しています。井伊直盛は桶狭間の戦いで今川義元と共に戦死し、直親は讒言されて掛川で討ち死にしています。

大河ドラマでは、今川氏に翻弄される状況や今川氏から徳川氏へ主君を変えていく過程から井伊家の力強い生き様を感じることができます。

強大な戦国大名を相手に、生き残っていった井伊家のたくましさを、大河ドラマでは見守っていきましょう!