NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」の第17回「消された種子島」から第18回「あるいは裏切りという名の鶴」にかけて登場し、物語の影の主役とも言える種子島こと火縄銃。

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戦国時代の流れを大きく変えたこの鉄砲伝来と種子島こと火縄銃は、どのように日本に入って各地に広まり、井伊谷にやってきたのでしょうか?

第17回「消された種子島」から第18回「あるいは裏切りという名の鶴」を見逃し方は、是非こちらをご覧下さい。

おんな城主 直虎「第17回 消された種子島」のネタバレとあらすじと感想。

おんな城主 直虎「第18回 あるいは裏切りという名の鶴」のネタバレとあらすじと感想。

鉄砲伝来

1543年、鹿児島県の南にある種子島に、ポルトガル人と中国人の乗る船がたどり着きました。

種子島の領主・種子島時尭は、彼らが持っていた火縄銃2丁を金2000両で譲り受けます。2000両というのはものすごい大金で、今の価値では2億円とも言われています。

それを見本に、島の刀鍛冶に火縄銃を作らせます。同じものができるまで、1年程かかりました。

鉄砲の銃口の逆側を、火薬の圧力に負けないように栓尾閉鎖する方法がうまくいかず、苦労したようです。火縄銃はネジ型のフタで閉じられていましが、当時の日本にはネジの概念がなかったので、構造が分からなかったのだと考えられます。そう実は、鉄砲伝来とともに、ネジの技術も初めて日本に伝わったのでした。

「おんな城主 直虎」の第17回「消された種子島」でも、井平村の刀鍛冶・五平が「かようなカラクリは細かな兼ね合いが肝。それがうまくできるか否か…」と言っています。鉄砲を製造する技術は一見して真似できるものではなく、難しかったのでしょうね。

火縄銃の情報は、種子島の主家である薩摩の島津家にすぐに伝わりました。

そして商人や寺院のネットワークにより、瞬く間に堺・紀州などに伝わります。それぞれの地の刀鍛冶などにより、国産量産化されていくのです。

「おんな城主 直虎」の第17回「消された種子島」では、今川家の寿桂尼が病に倒れます。寿桂尼が亡くなったのは、1568年。物語は、1568年よりも少し前でしょう。鉄砲伝来1543年から25年程が経過し、有力大名は戦いに火縄銃を取り入れた頃。いよいよ井伊谷のような地方の領主にも、火縄銃が行き渡る頃だったと想像できます。

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火縄銃の威力

火縄で点火して、黒色火薬をつかい、鉛玉を打つ。原始的な銃であるため、今の拳銃よりも弱そう…と思いがちですが、実はその威力は大きく、散弾銃並みの破壊力があります。

拳銃より口径が大きく、初速は480m/s程度で拳銃よりも早いです。また鉛玉の弾丸は拳銃の弾丸よりも重く、どれをとっても拳銃よりも殺傷能力が高いと言えます。唯一劣るのは、長距離での命中率だそうです。

実は思った以上に威力が強い武器だった、火縄銃。戦でつかわれた時は、その威力で他の武器を圧倒していきます。

世界一の銃保有国

その後、堺・紀州・薩摩・国友などで火縄銃こと通称種子島は、量産されました。

織田信長など革新的な戦国大名は、いち早く火縄銃を戦に取り入れます。その圧倒的な威力は、戦の仕方を変えていきます。

以前は騎馬武者中心でしたが、火縄銃が伝わると、鉄砲足軽中心の戦術へと変わりました。

織田信長が長篠の戦いで3000丁もの火縄銃をつかい、当時最強と謳われた武田軍に勝利したことは有名です。このように戦国大名がこぞって火縄銃を装備し、戦国末期には何万丁もの火縄銃が製造されたと言われています。これは当時、世界最大の銃保有数であったようです。ヨーロッパの国々よりも多く持っていたなんて驚きです!

伝来から1年で国産化に成功、50年あまりで世界トップクラスの銃保有数になるとは、当時から日本の技術力は相当に高かったのでしょうね。

井伊直政の死因は火縄銃によるものだった!?

井伊家と火縄銃の関わりを1つ。直虎の庇護する虎松は、長じて井伊直政を名乗り、徳川家の家臣となります。「井伊の赤揃え」という、赤色で揃えた甲冑の軍団を従え、様々な戦で大活躍をし、徳川四天王と言われました。

しかし関が原の合戦で、火縄銃により右腕を負傷します。命はとりとめたものの、1年後に死亡します。右腕に残った鉛玉からじわじわと鉛が溶け出したことによる、鉛中毒であったという説があるそうです。

「おんな城主 直虎」第17回の「消された種子島」では、虎松の成長を描くとともに、種子島に関するストーリーが描かれていました。虎松の死因が火縄銃であることを知ると、どこか因縁めいたものを感じてしまいます。