「おんな城主 直虎」で軽いノリで立ち回り、したかかに生きる瀬戸方久。

2012年の大河ドラマで松山ケンイチさん主演の「平清盛」の「平忠度」も演じられたムロツヨシさんが熱演されており、ドラマの緊張と緩和の「緩和」の方を上手く担われているようで、瀬戸方久が登場する場面では何故かホッとします。

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その「おんな城主 直虎」では、商売人が武士として井伊家の家臣団に加わったように描かれています。しかし、実在の瀬戸方久は逆で、武士でありながら商人になった人のようです。

さて、その瀬戸方久とは、いったいどんな人物だったのでしょうか?

瀬戸村の瀬戸方久

元から方久は商人だったわけではなく、瀬戸(浜松市北区)の直虎の父直盛の時の井伊家の家臣、松井氏の一族であり武士でした。

松井氏は、現在の浜松市天竜区にある二俣城の城主で、二俣城はのちに家康の嫡男、信康が自害した城です。

「おんな城主 直虎」で方久が商人として出てくるのは桶狭間の戦いのあと、直親が亡くなってからですが、直盛の代から祝田の一部の地域の年貢徴収をしていたようで、井伊家とつながりがありました。

桶狭間の戦いのあと、商人へ変わっていったようです。

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戦国時代の金貸しとは?

「おんな城主 直虎」で方久は、領民だけでなく領主の井伊家にもお金を貸しており、儲けていました。

戦国時代の人々は農作物の収穫が減ると年貢が払えなくなるので、村の金貸しに、お金はもちろんお米を借りて年貢を納めていました。飢饉が続くと、借金を返せないので返せないまま、次の借金をして暮らしていたのです。

そのような金を貸す仕事をしていたのは、方久のような商人もいれば、寺社の禰宜と言われる神官もやっていました。

そういった金貸しが、借金を払えない人たちの土地をどんどん自分のものにしていって、勢力を拡大していきました。

領主と家臣の関係は?

戦国時代の領主と家臣と言えば、今のイメージで言うと家臣が領主に絶対服従で、言うことを聞くように思えますが、領主は経営の方針を、自分一人で決められるわけではなく、家臣たちの意見を聞いて、領国支配をしていました。

家臣それぞれが、独立した関係だったのです。

徳政令は金貸しには出て欲しくないもの

「おんな城主 直虎」でも、借金をなしにする徳政令の話が出ましたが、金貸しにとって徳政令は出て欲しくないものです。

せっかく借金のかたに取り立てた、土地や穀物を元の持ち主に返さなければならず、なんとかしてそれを回避するため、瀬戸方久は領主である井伊家に、徳政令を出されないよう願い出て、井伊家自身も方久に借金していることもあり、それを聞き入れ土地を安堵する書状を出しています。

さらにそれだけでは安心できなかったのか、その上の今川家にまで土地の安堵を願い出て、それも聞き入れてもらい、今川家からも土地安堵の書状をもらっています。

そこが商人らしい危機管理能力と言いますか、井伊家もいつ潰れるかわからないので先を見越しての行いであったのです。

井伊家の支配も、そのバックにある今川の強大な力があるからこそ成り立つわけで、一方的に今川から徳政令を出すよう命令されたように思われますが、井伊家のような国衆は今川家と言う大名に守られている立場でもあったのです。

しかし、徳政令は延期されただけで2年後には発布されます。

徳川の遠江侵攻

徳政令が発布されたあと、井伊直虎の一族は井伊谷を出ていて、小野但馬守の領地となっていました。

すると、すぐに徳川が、今川から派遣されていた井伊の目付である、鈴木重時、近藤康用、菅沼忠久の井伊谷三人衆を味方につけ、案内役として井伊谷へ入り、遠江侵攻の足掛かりとします。

小野但馬守は一族と山へ逃げ、今川氏真は妻の実家、北条氏を頼って掛川城へ逃げます。

徳川はそれを追って掛川城へ攻めるため、次々と遠江の領地を落としていき、浜名湖周辺にある気賀にさしかかります。

気賀とは徳川が治める、三河に近い海沿いの場所で、流通の拠点として栄えた土地でした。

方久は、気賀にある堀川城の城主でした。気賀は、今川の領地でしたので、領民たちは今川の領地を侵攻してきた徳川に激しく反発します。

徳川は、堀川城で抵抗する人を1000人、関係者700人殺したと言われています。

方久は、徳川が攻めてきたことを知っていち早く逃げます。そして、ちゃっかり徳川に土地の安堵を申し出て、認められています。

方久の最期

井伊家が、井伊谷を小野但馬守に乗っ取られ、さらに徳川に遠江侵攻の足掛かりとされ国衆としては地位を失ったあと、方久は徳川に土地を安堵され生き延びます。

しかし、次々と従う相手を変えていった方久ですが、最後は処刑されたと言います。

82歳でした。お墓は、気賀の全得寺という寺にあるそうです。

今後「おんな城主 直虎」では、方久をどのように描いていくのでしょうか?

堀川城から逃げるなんて、いち早く先を読む方久のイメージ通り過ぎて笑えてしまいます。

「おんな城主 直虎」では、瀬戸方久のことがどこまで描かれるのかが楽しみです。