戦国大名である今川家は、井伊家の主君です。

しかし、大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、色々なかたちで井伊家を落とし入れ実権を奪おうとする、目の上のたんこぶ的な存在です。

教科書などでは、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に破れて、すぐに滅亡したイメージです。

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しかし、跡を継いだ氏真は、その後7年間も駿河の君主として国を治めました。

武田・徳川との戦いに負けて、大名としての今川家は滅びますが、氏真は生き残ったのです。

その後、流浪の人生を送り、父の仇の織田信長の前で、得意の蹴鞠を披露するのだそうです。織田信長に請われ、怒って断るでもなく、父の仇を討とうと計画するでもなく、蹴鞠を披露した…。武士としてのプライドがなかったのか、どんな運命でも受け入れてしまう不思議な人物です。

さて、そんな今川氏真は、どんな生い立ちだったのか、どのような生涯を送ったのか、詳しく調べてみました。

氏真の生い立ち

今川氏真は、海道一の弓取りと言われる大名・今川義元の嫡男として生まれました。

母は武田信虎の妹という、武士のサラブレッドです。

彼が生まれた駿府は、京都を模して街が作られ、戦乱の京都から難を逃れた公家などの文化人が多く滞在したと言われています。

今川家は将軍足利家の分家で、家格が高い血筋です。祖母の寿桂尼は公家の生まれ、父の義元も若い頃京都で過ごしたこともあり、氏真は京文化の中で育ちました。

こうして氏真は武士でありながら、蹴鞠と和歌を嗜む、公家のような青年として育ったのです。

人生の転機、桶狭間の戦い

氏真の人生のターニングポイントは、やはり桶狭間の戦いで父・義元が非業の死を遂げたことでしょう。

1560年桶狭間の戦いの後、氏真は父の仇を討つ行動はとりませんでした。

そして、1564年に武田との同盟が崩れ、1568年に祖母・寿桂尼が亡くなります。

その直後に武田信玄に攻め込まれ、駿河を奪われます。この時信玄によって、小京都と謳われた駿府の町は焼き払われてしまいました。

家臣の居城だった掛川城に逃げ込みますが、そこも徳川家康に攻め込まれ、半年の籠城後、1569年に和睦しました。命は助かりましたが、今川家の領地はなくなりました。

ここで大名としての今川家は、事実上滅びたのです。

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流転の人生、子孫は旗本に

その後、妻の実家である北条家の本拠地・小田原に身を寄せます。しかし舅が亡くなると、武田信玄が氏真を殺害するように命令書を出したので、小田原を脱出することに。

すると、ついこの間まで敵だった徳川家康の元に向かい、庇護を求めます。

家康もなぜか、かつて人質として屈辱を受けた相手の氏真を助けました。家康と氏真の間には、駿府時代からの、奇妙な友情のような絆があったのかもしれません。

しばらく、家康の本拠地・浜松で暮らしたあと、京都へ向かいます。織田信長に蹴鞠を披露したのはこの頃で、氏真は38歳でした。そして豊臣が天下の間は、京都で暮らします。

さらに、江戸幕府が開かれると家康を頼り、品川に家を与えられて暮らし、77歳で生涯を終えました。

品川に妻子と共に移り住んだ、氏真。孫である今川直房は、江戸幕府で旗本となり、高家という役職をもらいます。これは名門の家が任じられる、儀礼を行う役職でした。その家系は明治まで続きます。

図太い?誰も恨まない性格?

今川氏真は武将としては、暗愚で今川を滅亡させた、という評価が一般的です。

しかし実は、織田信長より先に楽市楽座の政策を行ったり、外交面でも活発に動いていますし、政治家としては優れていたようです。

軍事面では、イマイチという評価ですが、偉大な父の死と、強大な武田の揺さぶりにより、臣下の裏切りが後を絶えず、うまく軍事的才能を発揮できなかったのかもしれません。

蹴鞠の才能はあったので、運動神経は良かったのでしょう。教育係が違えば弓や槍などを学び、もっと有能な武将として育った可能性もあります。あくまでタラレバの話ですけれど。

武士の挟持、武士道など、侍は命よりもプライド!のイメージがあります。

しかし氏真は、かつての家臣で敵となった徳川家康に臆面もなく助けを求め、父の仇・織田信長の前で蹴鞠を披露します。

プライドよりも命、だったのでしょうか?

それとも過去は気にしない性格なのでしょうか?

最後に

徳川家康に攻め込まれ籠城した時や、武田信玄から誅殺命令が出た時に、殺されるなり切腹するなりしても、おかしくなかったと思います。

しかし、氏真は生き延びました。蹴鞠を愛し公家風に育ったため、プライドより命が大事という価値観だったのではと考えられます。

氏真は晩年、江戸城の家康を訪ねて、長々と世間話をしたという逸話が残っています。

忙しいだろう天下人を相手に世間話をしにくるとは、図太いというか、価値観云々より単に空気が読めない性格だったのかもしれません。