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おんな城主 直虎。武田の赤備え。井伊直政、真田幸村が引き継いだ最強軍団について。

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戦国時代の武田軍といえば、「武田の赤備え」が有名です。

赤い鎧で揃えた精鋭部隊は、勇猛果敢な最強軍団だと世に恐れられました。

武田家が滅亡したあと、「赤備え」は井伊直政の配下となります。

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直政は「おんな城主 直虎」の主人公の井伊直虎の、養子・虎松の元服後の名です。

また大坂夏の陣では、豊臣側の真田幸村の部隊も「赤備え」で戦いました。2016年大河ドラマ「真田丸」のポスターでは、堺雅人さん演じる幸村の赤い鎧姿が印象的です。

戦国最強軍団「赤備え」は、なぜ赤く塗られたのでしょう?どうして強かったのでしょうか?まとめてみました。

目次

なぜ赤くしたの?

「武田の赤備え」を最初に率いたのは、武田家臣の飯富虎昌(おぶとらまさ)です。飯富は武田信玄の父・信虎時代からの武将です。

飯富虎昌は家を継ぐことができない次男や三男を集めて、最初の赤備え軍団を作りました。

次男以下の男子は家を継ぐことができないので、戦場で功を上げ、土地を手に入れるしかないのです。彼らは手柄を立てたい一心で、死を恐れずに敵と戦います。

そして飯富虎昌は、彼らに赤い鎧を着せました。

当時赤い塗料は貴重で、武功を立てて主君の許しがあったときにだけ、赤い鎧や槍を身につけることができました。赤い鎧を与えられた次男坊軍団は、その栄誉に恥じないよう、戦場で命知らずの切込み部隊として大活躍します。

飯富虎昌が亡き後、赤備えは山県昌景が引継ぐことに。山県昌景は名字が違いますが、飯富虎昌の弟、または甥だと言われています。飯富虎昌も山県昌景も、ともに強く、そして軍を率いても有能な名将でした。

命知らずな精鋭部隊だったこと、有能な武将が率いていたので戦上手だったこと、赤い鎧が戦場で目立ったことなどから、「武田の赤備え」はその強さが世に知られていくのです。

飯富虎昌という武将は、武田信玄の嫡男・義信の廃嫡事件で信玄と対立します。結局、義信は幽閉、飯富虎昌は処刑されてしまいました。

この事件後、今川と武田は同盟を破棄し、対立は激化。「おんな城主 直虎」では、今川支配下の井伊家が、戦国の動乱に巻き込まれていきます。「おんな城主 直虎」第25回ストーリーでは、今川への忠義を試され、あやうく後見を降ろされるところでした。

「おんな城主 直虎」第25回の詳細に関しては、こちらをご覧下さい。

おんな城主 直虎「第25回 材木を抱いて飛べ」のネタバレとあらすじと感想。

井伊に引き継がれる赤備え

武田軍滅亡後、徳川家康が甲斐の国を支配しました。

井伊直政は、小姓として家康に目をかけてもらっていました。しかし井伊家は家臣の裏切りなどで弱体化し、兵が少ない状態。そこで家康は武田に仕えていた赤備え軍を、そっくりそのまま直政に与えたのです。

消滅するかと思われた「武田の赤備え」は、「井伊の赤備え」として復活しました。

直政は「井伊の赤鬼」と呼ばれる槍の名手であり、外交にも優れた武将でした。「赤備え」を率いて、小牧・長久手の戦いや、小田原征伐などでたくさんの武功を上げ、徳川四天王に数えられるまでになったのです。

真田の赤備え

また、「真田の赤備え」も有名です。

大坂夏の陣で、真田幸村が自分の部隊を赤い具足で揃えたのです。

真田家は、幸村の祖父・幸隆の時代から武田に仕えていました。幸村には武田の赤備えの真の継承者は、自分たちだという自負があったのでしょう。

大河ドラマのタイトルでもある、「真田丸」と言われる砦を利用した戦い方も、武田流築城術を継承した戦術です。

こうして、大坂夏の陣では、「井伊の赤備え」と「真田の赤備え」が東と西に分かれて戦ったのでした。

江戸へ、明治へ。そして…

井伊直政は関ヶ原の戦いで、鉄砲の弾が右肘に当たって落馬し負傷します。

その2年後、傷が癒えずに死去しました。一説には破傷風だったとも、右肘に残った弾丸からの鉛中毒だったとも言われています。

鉄砲に関しては、「鉄砲伝来と種子島こと火縄銃について。」の記事も、是非ご参照下さい。

死後、井伊家の家督は子の直勝が継ぎ、知行地を彦根藩に改めます。江戸幕府で井伊家は、6人もの大老職を排出する名門の譜代大名となりました。安政の大獄で知られる、井伊直弼が有名です。

江戸時代、井伊家の軍装は足軽に至るまで赤で揃えた「井伊の赤備え」として有名でした。

江戸中期まで戦はありませんでしたが、幕末にはペリーが来航し、江戸内海の警備として井伊家などが出陣しました。1853年の『ペリー浦賀来航図』に「井伊の赤備え」の赤い旗や鎧が描かれています。

(ウィキペディア「赤備え」のページより)

そして明治初期、旧幕府軍と新政府軍との鳥羽・伏見の戦いで、井伊の彦根藩は旧幕府軍として「赤備え」の軍装で出撃しました。しかし彦根藩は大敗し、最後は新政府軍に寝返ったそうです。

赤い軍装は、敵の鉄砲隊には格好の的でした。戦国最強の名声も、明治の最新鉄砲隊には通用しません。彦根藩兵の多くは、赤い甲冑と旗指物を放り出して逃げ出したそうです。

こうして「赤備え」の歴史は幕を閉じたのです。甲冑を脱ぎ捨てて逃げ出すとは、少し残念な最後でした。

さらに平成になって、密かに「赤備え」が継承されたのをご存知でしょうか?

彦根市の公式キャラクター「ひこにゃん」の兜が赤いのは、「井伊の赤備え」だからなのです。勇ましい「赤備え」は、かわいらしいゆるキャラに継承されたのでした。

最後に

最初の赤備えは、飯富虎昌が武家の次男・三男を集めて作った軍団でした。赤い鎧を着せることで、その栄誉に恥じないよう、戦場では命知らずの働きで奮闘しました。

赤い鎧は目立ちます。負けて背中を見せれば、戦場では他の兵より目立ったことでしょう。

それを防ぐため、率いるのは山県昌景や井伊直政など、選び抜かれた優秀な武将ばかりでした。それにより、さらに最強の軍隊という印象が強まったのだと思います。

「おんな城主 直虎」では、直虎を柴咲コウさんが演じています。直政の青年期からは菅田将暉さんが演じる予定です。

直政が、赤備えを率いる戦いのシーンもあるかもしれません

。かわいらしい寺田心くんが演じる虎松ですが、どんな武将に成長するのでしょうか、楽しみですね。

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