大河ドラマ「おんな城主 直虎」には、第38話より青年となった虎松が登場します。

虎松はのちに井伊直政を名乗り、徳川四天王と呼ばれる大出世をし石高10万以上の大名になります。

4ea1d3874580a9b1500239684342b62a_s_110517_082021_PM

江戸時代には家老を数多く排出する名家となり、井伊直弼など名老中を輩出しました。

一度は途絶えた井伊家を建て直し、大名にまで盛り立てた井伊直政とは、どんな武将だったのでしょうか?

簡単に、まとめてみました。

直政の生涯

生涯をざっくりと年表にしました。

1561年(永禄4年) 井伊家23代当主・直親の嫡男として誕生。

1562年(永禄5年) 直親が殺害される。22代当主・直盛の娘が、直虎を名乗り実質当主に。

1568年(永禄11年) 領地と城を失い、家が途絶える。

1575年(天正3年) 15歳、徳川家康に仕官。井伊家を再興し井伊万千代を名乗る。

1582年(天正10年) 本能寺の変。直政を名乗る。

1600年(慶長5年) 関ヶ原の戦い。最終的に18万石の大名に。

1602年(慶長7年) 42歳、戦いの傷が元で死亡。

幼少期

井伊家は今川の支配下にありましたが、桶狭間の戦いで今川義元が破れると、今川の勢力は衰えます。父・直親は今川を見限り、徳川と内通を試みますが、家臣(小野政次)の讒言より、殺されます。井伊家には成人男子がいない状態になり、先代当主・直盛の娘「次郎法師」が還俗して「直虎」と名乗り、幼い虎松の後見を務めます。

1568年、直虎は今川の命令で徳政令を受け入れ、それにより井伊谷の経済は混乱。結局今川の命令で、直虎は領主の地位から降ろされます。井伊家は領地も城も失ったのです。直虎と虎松は命を狙われますが、直虎は尼として出家、虎松も出家して命は助かりました。虎松は浄土寺や鳳来寺で15歳までの時を過ごします。

スポンサーリンク

徳川への仕官

15歳になった虎松が、利発で将来性があることを知ると、直虎や虎松の母、井伊家菩提寺・龍潭寺の南渓和尚は、彼を徳川へ仕官させようと考えました。

家康は鷹狩が好きなことを知り、鷹狩で機嫌が良い時に対面できるように計画。この日のために誂えた、遠くからでも目立つ着物で道中にひざまずく虎松に、家康は目を留めます。井伊家の遺児だと知ると「取り立てない訳にはいかない」と、そのまま浜松城へ連れ帰ったと言われています。お目通りが叶い、小姓として召し抱えられた虎松は「井伊万千代」と名乗ります。

初陣から本能寺の変まで

仕官した次の年、初陣の「柴原の戦い」では間者を打ち取り、3000石に加増されます。さらに、武田との戦いの「田中城攻め」で武功をたて1万石に。トントン拍子の出世です。

そして「田中城攻め」と同じ年、有名な「本能寺の変」が起こります。その時、堺見物をしていた家康は、武器を持たない平服でした。明智光秀からの刺客や、褒美目当ての落ち武者刈りなど危険だらけの状態で、命からがら伊賀を越えて岡崎城に逃げ帰りました。直政も同行していて、昼夜を問わず家康を警護したと言われています。

赤備えを配下に、数々の武功を上げる

信長の死後、家康は北条と領地を争い、最後には講和して甲斐・信濃を支配下にします。この時の交渉人が直政でした。この時21歳の若者でしたが、武力にも外交にも優れた武将に成長していたのです。

甲斐を領地にした家康は、旧武田軍の赤備え軍団を、そっくり直政の配下に付けました。「井伊の赤備え」の誕生です。

その後、豊臣方との争いの中で「長久手の戦い」が起こります。直政は「突き掛かり戦法」と言って、とにかく先鋒としてがむしゃらに突っ込むという戦い方で、勝利に貢献します。その過激さから「井伊の赤鬼」という異名が付き、武勲として6万石が加増されました。

関ヶ原の戦いと無念の死

1600年、天下分け目の戦です。直政は持ち前の外交力を発揮し、多くの敵を自軍に引き込むことに成功、勝利に貢献します。

勝利したものの、翌々年の1602年に、戦いで受けた鉄砲傷が原因で亡くなります。享年42歳でした。

どんな性格の人物?

家康に仕え、裸一貫から18万石という大出世を果たした井伊直政。どんな性格だったのでしょうか?

徳川家康が息子の秀忠の妻・お江に出した手紙に、直政を評した文章があります。要約すると「冷静沈着で口数が少ないが、局面では的確に意見を述べる。自分が間違えているときは、回りに人がいない時に意見をしてくれる。そのため、何事もまず直政に相談するようになった。」ものすごい高評価です。

しかし部下に対してはとても厳しく「人斬り兵部」という異名がありました。気性が激しく、失敗した部下を容赦なく斬ったという逸話があるのです。

また激しい気性のままに、戦いでも常に先陣に立ち、体には生傷が絶えなかったそうです。寡黙で、自分にも他人にも厳しいストイックな性格、といったところでしょうか。

上司から見た評価に対し、部下からの評価がかなり違いますね。幼少よりたった1人で寺を渡り歩き、身につけた処世術の一つだったのかもしれません。

また、元服して直政を名乗ったのは22歳の時。この年齢での元服は、戦国時代としては異例の遅さです。

直政は、直虎が死んだ直後に元服しているのです。井伊の当主は養母の直虎だという思いがあり、直虎が存命中は当主を名乗らなかったのだとされています。

直虎を尊敬する思いが強かったのでしょう。ここにも、真面目でストイックな性格が現れているような気がします。

なぜ出世できたのか?

直政はかなりの美少年だったと伝えられ、家康に小姓として寵愛された故に出世したとする説が多いです。

家康のお気に入りの家臣だったことは事実だと思います。しかし【直政の生涯】で説明したように、それ以上にたくさんの功績を残しているのです。正しい評価がされた結果だとも言えます。

他に出世した理由として、

  • 井伊家は平安時代から続く名家だから
  • 家康の妻・瀬名の出身一族だから

などの理由が上げられます。

まとめ

一度は没落した井伊家を、揺るぎない大きな武家に復活させた直政。その出世は、養母・直虎の出仕への力添えや、家康に気に入られるという運もありますが、それ以上に本人が挙げた功績の賜物です。三河者の多い徳川家臣の中で、他所者として舐められないように、ストイックなまでに努力し、他の誰よりも功績を上げる必要があったのだとも言えます。

42歳という若さで亡くなり、家康が開いた江戸幕府を見ることができなかったのは、さぞ無念だったことでしょう。

「おんな城主 直虎」では、第38回より菅田将暉さん演じる青年期の直政が登場し、いよいよ大出世の活躍が始まろうとしています。

柴咲コウさん演じる直虎は「本能寺の変」の年に亡くなります。ドラマではそのあたりまでの直政の活躍が描かれると思います。トントン拍子に出世するところなので、見ていて楽しい痛快なストーリーになることでしょう、とても楽しみです!