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西郷どん 第47回「敬天愛人」のネタバレとあらすじと感想。

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毎週日曜日20時から、NHK総合他にて放送中の大河ドラマ「西郷どん」。

2018年12月16日、第47回「敬天愛人」が放送されました。

前回、西南戦争がはじまり、圧倒的な政府軍の力に押され、延岡まで敗走してきた西郷隆盛(鈴木亮平さん)たち。

小兵衛(上川周作さん)は戦死。菊次郎(今井悠貴さん)は足を負傷して政府軍に投降。西郷軍は、鹿児島の城山に入り、最後の戦いに向かっていくのでした。

今回の冒頭は、明治37年。菊次郎(西田敏行さん)が京都市長となり、川村(川口覚さん) に請われ、父隆盛のことを話している場面から始まりました。

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隆盛がどんな思いで亡くなったのか?菊次郎もずっとそれを考えてきたと言います。「新しい時代が、大きなうねりとなって押し寄せてきた時、どうしてもその波に乗り切れない人がいるものです。父西郷隆盛は、あの大きな体で熱い心で御一新から取り残された侍たちを、抱き締め、飲み込み、連れ去りました。」と話し始めたのでした。

前回の第46回「西南戦争」を見逃した方は、是非こちらをどうぞ。

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それでは、第47回「敬天愛人」のあらすじと感想です。

目次

終焉の地、城山へ

明治10年(1877)8月17日。延岡の本陣から西郷軍は、菊次郎、熊吉(塚地武雅さん)、戦地まで来ていた糸(黒木華さん)を残し、終焉の地、鹿児島へと向かいました。

「1日西郷に接すれば1日の愛が生じ、3日接すれば3日の愛が生じる。親愛の情は日々募り、もはや去ることはできない。ただただ生死を共にしたいのだ。」西郷隆盛に従った人の言葉です。隆盛は険しい山道を、桐野利秋(大野拓朗さん)らに手助けを受けながら、共に鹿児島へと向かいました。

一方、政府軍の山県有朋(村上新悟さん)は、延岡の病院に到着。糸に隆盛らの行方について聞きましたが、表情を全く変えずに答えませんでした。そこへ従道(錦戸亮さん)が到着し、菊次郎らを鹿児島の西郷家に送り届けました。琴の息子、宗介(前川優希さん)は隆盛に従っていきました。

政府軍をかわしながら西郷軍は、三田井から小林、霧島と、山道を450キロも歩きました。延岡を発って14日め。ついに鹿児島の城山にたどり着き、海とその先の桜島を見下ろしました。

城山に着いて隆盛は、足元の土を掘り始めると、新八(堀井新太さん)も笑顔になりました。「新八どん、懐かしかのう。」隆盛が見つけたのは、「Cangoxima」と書かれた石。子どもの頃に郷中仲間の皆で書いた石でした。

城山からは、私学校が政府軍に占拠されているのが見えました。「おいたちの薩摩を奴らから奪い返したか。」半次郎が言うと隆盛は「よか。ほいならおはんらともう一暴れしよかい。」と笑顔で返しました。

西郷軍は、故郷鹿児島ではつらつと戦いました。刀を持って反撃に出てきた政府軍を、桐野は刀で迎えうちました。

しかし、政府軍は圧倒的な攻撃力に加え、陸と海から駆け付けた大軍にも包囲され、西郷軍は山の上へと押し戻されました。

東京にいた大久保利通(瑛太さん)は、産業発展の為の博覧会開催準備に追われていました。まるで昔の仲間との戦いから目を背けて忘れようとしているかのようでした。

夜。城山では、新八が「我らの山へ」という曲をアコーディオンで弾いていました。仲間たちは涙を流してそれを聞いています。そこへ洞窟から出てきた隆盛が現れ「もうちょっと賑やかなやつも聴きたかな。」と言います。

新八はフランス国歌の「ラ・マルセイエーズ」を弾き始めました。明るい曲調に次第に仲間たちも笑顔になり、踊り出しました。

隆盛たちが城山にこもって20日余りが過ぎ、ここまで生き残ったのは372人でした。

少ない人数になりました。政府軍にも犠牲者がたくさんいるでしょうから、この戦いの過酷さが分かります。

大久保からの指令

東京の内務省執務室にいた利通は、引き出しの奥にしまっていた小さなきんちゃく袋を取り出し、中からボロボロになった紙を取り出しました。「Cangoxima」と書かれたあの、斉彬(渡辺謙さん)からもらったカステラの紙でした。きんちゃくは、最後の別れの時に隆盛からもらったものです。

城山で、隆盛と新八が子供の頃のことを思い出していましたが、遠く東京でも利通がこの紙を見て思い出していたのでした。同じ思い出を共有する者同士なのに、向かっていった方向が全く違う方向になってしまいました。見ていて切なかったです。

その頃鹿児島の政府軍本営では、城山を包囲が完成して9日になっており、一気に総攻撃を仕掛けるべく話し合いが行われていました。

早く指示を出すよう急かされた山県は「ここにおる者で、西郷さんの厚意にあずからんかった者がおるか?西郷さんが賊に成り下がったと、心から思うておる者がおるか?事はそうたやすうはない。」と総攻撃の命令をなかなか出せずにいたのです。

川路(泉澤祐希さん)は「ならば使者を遣わし、降伏を呼びかけましょう。降伏の条件は、西郷先生以下隊長連中の自裁。砲撃で命を奪っては、彼らは賊名をかぶったまま。」と言うと「せめて名誉の死を、ちゅうことか。」と山県も同意しました。

そこへ利通から電信が届き、その内容は城山にいた隆盛に手紙で知らされました。

利通は明朝4時に総攻撃の命令を下しました。「ただし、本日夕刻5時までに降伏すれば、賊西郷隆盛の命を助ける。」というのが利通からの指令でした。

隆盛は笑顔で「甘かとは、おはんじゃ一蔵どん。おいに情けをかければ、自分で自分の首を絞めるこつになっと。こげな情けは受けられん。」と言いますが、桐野は「受けてくいやんせ。先生だけは生きてくいやんせ。」と言うと、別府(篠原悠伸さん)や他の者たちも皆生きるよう口々に隆盛に声を掛けました。

篠原国幹(榊英雄さん)が「西郷先生さえ生きていおられれば、いつか誰かが立ち上げるこつもできもす。」と言うと、隆盛はただ黙って話を聞いていました。

一方、東京上野の博覧会会場では、機械、美術、園芸など、日本全国からおよそ1万4000点もの品が集められていました。しかし、鹿児島からだけは品物が寄せられていませんでした。

博覧会から来た外国人が「鹿児島は戦争の最中だと聞きました。そのような時に博覧会など催していて大丈夫なんですか?」と利通に質問。「心配ご無用。もうすぐ戦は終わります。いや、日本から戦そのものがなくなります。」と説明するのでした。

時間は夕刻5時に近づいていました。が、城山にいた隆盛は、生きて欲しいと願う仲間たちに「あいがとな。じゃっどん、ここは死なせてくいやい。」と言います。

そして「こん国から戦をなくすためにも、おいは死なねばならんとじゃ。おいが死ねば日本国中の士族たちは、ようやく別の生き方を見つけようとすっじゃろう。おいの死と共に、新しか日本が生まれっとじゃ。」と自分が死ぬ意味を語る隆盛です。

納得しかねる仲間たちに、新八は「そいに吉之助さぁが、おはんらだけを死なすわけがなかとが。」と言います。

隆盛は「そん通りじゃ。」と言って利通からの指令が書かれた手紙を破り捨てました。

5時が過ぎ、東京の利通に隆盛からの返信がなかったことが伝えられました。演説を頼まれた利通は壇上に立ち、「この内国勧業博覧会の開催は、私の長年の夢でありました。ここに集められた品々は、我が国の殖産興業の力を示しています。すなわち今後10年で西洋諸国と並ぶための、日本国の礎となる品々です。」と挨拶の途中で言葉に詰まる利通。鹿児島県の空の棚が目に入り、動揺していたのです。

「侍によって作られてきた日本は大きく変わろうとして…。」挨拶はそれ以上続けられなくなり、その場から立ち去る利通でした。

色んな思いが溢れて来たんでしょう。これまで強気でいた利通の動揺の仕方に驚きました。覚悟していたんじゃなかったんでしょうか?目的の為なら排除するって言っていた強い利通の姿ではありませんでした。

最後の晩餐

城山にいた西郷軍は、楽しく食事をしていました。「おはんら、ほんのこてよう戦った!じゃっどん、百姓や町人の政府軍はなかなか強かな。こいなら外国がいつ攻めてきても十分に戦えっど。」と隆盛が言うと、皆で笑いました。

「じゃっどん、若い者たちにはもう少しましな死に場所を与えたかったのう。」と桂久武(井戸田潤さん)は残念そうに言いました。しかし桐野は笑いながら「ないを言われもすか。ここは最高の死に場所じゃ!」と言うと、他の者も「そうじゃ!桜島を眺めながら死ねっとじゃ!」「薩摩武士の本懐じゃなかか!」と盛り上がりました。

隆盛がふと、新八がずっと着ている外套を「いつまで着ちょっとな?臭くてたまらんど。」とツッコみました。新八は「臭くても脱がん。こいには女子の思いが籠もっちょっでな。」と胸に手を当てながら答えました。

その話を聞いた桐野が、新八の外套の内ポケットに縫い付けられた女性の写真を皆に見せ「何じゃ、こいは?」と騒ぎ立てました。写真には何か書かれてあり、何が書かれてあるか隆盛が聞きましたが、「秘密じゃ。」と言って答えてくれませんでした。

宴が終わり、ひとりになった隆盛は、斉彬の短刀を見つめていました。隆盛は、刀が持てなくなって泣いていた自分に、斉彬が「侍が重い刀を2本も差してそっくり返る時代は終わるんだ。」と言ってくれた言葉を思い出していました。

そして「ようやく、殿の言われた時代が来もすな。」としみじみ言うのでした。

総攻撃はじまる

明治10年9月24日4時。城山を囲んだ政府軍。城山では、旗と新八のアコーディオン、大事にしていた外套を焼きました。こんな大事な場面でも新八はお腹を鳴らしました。

「こげな時にすんもはん。」と謝る新八に、隆盛が「おいも腹が減ったのう。甲突川に鰻でんとりに行きたがどん、もう時がなか。残念じゃ!」と言うと皆が笑いました。

そして「よかか。おはんらが侍の最後を務めるんじゃ。日本の誇りじゃ!」と隆盛が言い、皆も「お~!」と声を上げました。

政府軍が砲撃してきました。開戦です。

西郷軍も「行っど!チェスト~!気張れ~!」という隆盛の掛け声とともに出陣していきました。

その時西郷家では、大砲や銃の大きな音を、いろりを囲んで皆で聴いていました。

山を駆けて行く西郷軍。次々と仲間が撃たれていきます。久武は「おいがしんがりじゃ~!」と言って弓を引き、政府軍のひとりの兵を射抜きました。が、すぐに銃撃に倒れました。

磯の御殿では、海江田武次(高橋光臣さん)がすすり泣いていました。久光(青木崇高さん)は1点を見つめて、静かに碁盤から黒い石を片付けていました。そこには、斉彬の写真も飾られていました。

戦場では、「おいがだいか知っちょっとか?人斬り半次郎じゃ!」と言って、次々に政府軍に斬り込み、最後は川路に額を撃ち抜かれ、倒れました。

新八は物陰に隠れて、刀の柄を地面に立てて、刀の先を自分のお腹に当てて自分で刺して倒れました。

隆盛は次々に撃ち込まれる銃弾の嵐の中、前に突き進みます。そして最後にお腹に銃弾を受け、倒れました。

戦のあと

西郷家では、糸が城山の方角に頭を下げていると、犬の鳴き声がして振り返りました。隆盛が宮崎で逃がした、犬のゴジャとツンが西郷家に戻って来たのです。

糸は2匹の犬たちを撫でながら「よう戻って来もしたな。」と言い、涙を流すのでした。

東京の大久保邸では、「戦が終わった。」と言って利通が帰って来ました。満寿(美村里江さん)が「吉之助さぁは?」と聞くと、鞄と帽子を床に落とし、自分も膝から崩れ落ちた利通。

ため息とも、うなり声ともいえぬ声を漏らし「吉之助さぁ、吉之助さぁ、吉之助さぁ…!」と満寿の手を掴んで泣き叫んだのでした。

隆盛の死を新聞で知った慶喜(松田翔太さん)。「なんで逃げなかったんだ。俺みたいに逃げればよかったんだ。」と言いました。ふき(高梨臨さん)は「西郷様は、みんなをほっておけなかったんだと思います。立派なお侍さんです。」と、かつて自分が売られた時と同じ言葉で隆盛の死を嘆きました。

東京の居酒屋では、勝(遠藤憲一さん)が隆盛の死を知って「とうとう星になっちまったかい?せごどん。先に龍馬とよろしくやっててくんな。」とつぶやきました。

この頃、人々は日本の空に近づいた火星を「西郷星」と名付けて崇め、その死を悼みました。

奄美大島では、愛加那(二階堂ふみさん)が空を見上げて唄を歌い、西郷を見送りました。

西郷家では犬が駆け回り、琴がおすそ分けに来て、日常を取り戻していました。菊次郎は義足をつけてもらって西郷家に帰って来て、杖なしで、ひとりで歩けるようになったといいました。弟たちや家族は喜びました。

糸は、隆盛が書いた「敬天愛人」を広げて子供たちに見せました。

「みんなに、聞いて欲しかこっがあります。お父上に最後にお預かりした言葉です。」と隆盛が最後に会った時に話してくれた言葉を話し始めました。

「おいが死んだことで、おかしいことはおかしいと言えんようになるち、おはんらに思わんで欲しか。こいからの国づくりは、おはんらに託されちょ。」と言う言葉でした。

「逆賊、西郷隆盛の子であることを恥じることはあいもはん。」と糸が言うと、雪篷(石橋蓮司さん)が「そん通りじゃ。」と言いました。

寅太郎(古舘緩樹さん)が、父が西郷星になって、人々が拝んでいると言うと、「それはちご。旦那さぁは、人に見上げられたり、拝まれたりして喜ぶような御方ではあいもはん。いっつも低かところで弱か者に寄り添って、あちこち走り回っちょった。誰よりも心の熱く、太かお人でした。」と糸は言うのでした。

明治11年(1878)5月14日。利通は馬車に乗って赤坂に向かっていました。突然馬車を襲う者たちが現れ、利通を斬り付けました。

利通は「おいは、まだ死ねんど。やらねばいかんことがある。まだ…まだ…。」と言いながら亡くなっていきました。利通の手には「Cangoxima」の文字が。その紙は風に飛ばされてしまいました。

利通の脳裏には、吉之助と二人で山道を駆けて行った情景が浮かんでいました。「忘れもんをした。おはんじゃ。大久保正助を忘れてきた。」と言う吉之助。利通には吉之助が迎えに来たと思ったんでしょう…。

大久保利通の最期でした。

桜島を眺めながら…

場面は、隆盛がお腹を撃ち抜かれたところに戻りました。

隆盛は地面に倒れ込み、少し這ったあとひっくり返って仰向けになり、空を見上げました。笑顔で空を見る隆盛。「もう…ここらでよか。」そう言ってゆっくりと目を閉じました。隆盛が倒れた向こうには、桜島がありました…。

終わりです!!

城山で切腹して、別府晋介に介錯してもらうという話だと思っていましたが、「西郷どん」では銃弾に倒れて亡くなる、しかも笑顔で。という最後でした。

切腹じゃなくて戦いの途中で亡くなったという終わり方が、逃げてひっそり亡くなるというより潔くて良かったと思います。

1年通して見て来て、最後は桜島をバックに爽やかに終われて、キレイな終わり方で良かったと思います。体は血だらけでしたけど。

途中、色々と言いたいことはあったドラマでしたが、西郷隆盛が、最後かっこよく笑顔で終われて納得出来ました。

涙を流して後悔しながらの終わり方だったら、観ていてやりきれなかったと思います。ちゃんと区切りのついた終わり方で良かったです。

それでは、これで「西郷どん」の感想記事を終わりたいと思います。

1年間読んでいただき、ありがとうございました。


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