大河ドラマ「西郷どん」の第3回と4回では、いわゆる「お由羅騒動」と言われる、跡継ぎをめぐる争いがドラマの中心となっていました。

この騒動について詳しく解説するとともに、ドラマでは描かれなかった歴史の隠れた部分を紹介していきたいと思います。

島津家の跡継ぎ

島津斉興には、正室の産んだ長男・斉彬がいます。その後、側室・お由羅が久光を生みます。斉彬は1809年生まれ、久光は1817年生まれです。

斉興の祖父には蘭癖と浪費癖があり、島津藩は多額の借金を負い、財政が傾いてしまいました。それをなんとか立て直したのが、斉興と家老・調所広郷。斉興は、蘭癖のある斉彬が藩主になり、また財政が傾くのを恐れていました。

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しかし斉彬は正室の長男で特に病気などもなく、しかも一橋家の姫と結婚していて、廃嫡はほぼ不可能でした。どうしても斉彬に跡目を譲りたくない斉興は、斉彬が元服しても引退せず藩主交代を引き伸ばします。斉彬が病気などで死んだあとに久光に家督を譲ろうと考えていたようです。

他にも、正室が1824年に死去し、お由羅が正室と同等の扱いを受けていたこと。現体制を維持しようとする調所を始めとする斉興派と、門閥で固められた藩政を改革したい下級武士を中心とする斉彬派が対立していたことで、後継者争いが激しくなります。

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斉彬派が仕掛けた罠

この頃は一般的に、嫡男が元服すると藩主交代して隠居するのが通例で、40歳まで引き伸ばすというのは、異例中の異例でした。40歳になっても家督を継ぐことが出来ず、江戸屋敷に住まう日々…。しびれを切らした斉彬と若手藩士が結束し、斉興の隠居と調所の失脚を目論みます。

幕府に、薩摩藩の密貿易を密告したのです。薩摩藩の密貿易は、長年行われている公然の秘密ですが、公にすればお家取り潰しになりかねません。

調所は江戸に呼ばれ、老中・阿部正弘に取り調べを受けます。調所は取り調べ直後に、急死。斉興に累が及ばぬよう、服毒自殺をしたという見方が一般的です。忠臣の極みですね…。

斉興の仕置

片腕である調所を失った斉興は、さらに斉彬への嫌悪を深めます。

斉彬には正室に加え、4人の側室がいましたが、生まれた男子は全員亡くなり、成人したのは女子3人だけ。斉彬派の家臣は、お由羅一派が呪い殺したに違いないと恨みを抱き、お由羅を追放しようと動きます。その計画が発覚し、斉興は斉彬派の家臣を粛清するのです。

「久光とお由羅の暗殺計画を企てた」という罪状で、数名に即切腹を申し付け、さらに50名以上に蟄居や島流しを命じます。切腹を命じられた中には、西郷隆盛や大久保利通の師匠であった赤山靭負もいました。大久保利通の父も島流しになり、利通自信も蟄居の身に。大久保家は3年ほど収入がなく困窮したそうです。

斉彬の大叔父にあたる福岡藩主・黒田長溥が、幕府に経緯を報告。事態を重く見た将軍・徳川家慶や老中・阿部正弘らは、斉興に茶器を送って、暗に引退勧告をします。さすがの斉興も藩主の座を譲る他なく、43歳になった斉彬は、ついに薩摩藩主となったのです。

お由羅騒動の概要は、このような流れでした。ここからは、ドラマでは描かれなかった部分をクローズアップしていきます。

斉興が斉彬を嫌った理由とは

斉興は徹底的に斉彬を嫌っていますよね。その理由は、斉興自身の若い頃の経験によるものでした。

斉興の祖父・重豪(しげひで)には蘭癖・浪費癖がありました。重豪が引退して父・斉宣(なりのぶ)に藩を譲ったあと、500万両(1両を5万円と見積もっても、2500億円)の莫大な借金が藩の財政を傾けます。斉宣は緊縮財政を引いて改革を行います。

しかし重豪はその改革が気に食わず、斉宣を無理矢理引退させて、孫にあたる斉興を当主に据えました。この騒動は「文化朋党事件」と呼ばれています。18歳の斉興に実権はなく、重豪が権力を握ります。この体制は重豪が亡くなるまでの24年間続きました。

この実権のないお飾り藩主だった苦い経験がトラウマとなり、祖父と同じ蘭癖を持つ斉彬を、必要以上に嫌っていたのだと考えられます。このあたりは「西郷どん」では省略されていたので、ただただ斉彬を嫌い、側室とその息子を贔屓するお爺さんのような描かれ方になっていましたね。

お由羅という女性

お由羅は江戸の町娘で、島津家の江戸屋敷で奉公していたところを斉興に見初められました。よっぽどの美人だったのでしょう。江戸屋敷には正室の弥姫がいます。正室と側室を同じ屋敷に住まわすわけにもいかず、お由羅は薩摩藩で暮らすことになります。

斉興には他にも側室がいましたが、一番愛されていたのはお由羅だったと言われています。お由羅は女児を1人、男児を2人生みましたが、無事に成人したのは久光1人だけでした。

一般的にお由羅は、寵愛をたてに自分の子供を無理矢理藩主にしようとしたと言われ、悪女としてのイメージがある女性です。

「西郷どん」では、お由羅自ら何かを企んだり、斉彬の子を呪ったという描写はありませんでした。しかし「私のことを憎むがいい!」など、ちょっと芝居がかった、自分に酔っている女性という感じで、賢い女性というイメージではありませんでしたね。

お由羅については、写真もなく、資料もほとんど残っていません。本当に呪詛の祈祷をしたり、斉彬の男子に毒を盛るような女性だったのか。はたまた、斉興VS斉彬の抗争に巻き込まれただけだったのか。今となっては分かりません。

斉彬と久光の仲は?

もともと、斉彬と久光の仲は悪くありませんでした。藩を留守にする時は藩主の代行役を頼んだりと、斉彬は久光を信頼していました。さらに、将来的に久光の息子が跡を継ぐようにと遺言を残していますし、斉彬の3人の娘は全員、久光の息子に嫁ぎました。

斉彬の敵は斉興であって、久光とは協力しあう関係だったのです。

今のところ「西郷どん」では、久光はどこか頼りないお坊ちゃん風に描かれています。実際は、斉彬ほどの切れ者ではありませんでしたが、儒学・国学を好む、慎重で賢い人物だったと言われています。

しかし、西郷隆盛と対立したのは事実ですので、「西郷どん」では、今後も悪者的に描かれると思われます。