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西郷どん。瑛太さんが演じる大久保正助は西郷どんの敵?その人間像と西郷吉之助との関係?

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ドラマ「西郷どん」で瑛太さんが演じている大久保正助の人間味あふれる演技がとても素晴らしいと評判になっています。

ところが実在した後の大久保庄助(利通)は鹿児島では「西郷どんの敵(かたき)」として良く言われていないのです。

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何故でしょう?

「西郷どん」での大久保正助の人間像から西郷吉之助との関係を読み解いてみました。

目次

西郷どんの大久保正助の人間像

薩摩藩士の下級武士の家に生まれ、同じ下加治屋町の郷中や藩校造士館で共に学んだ大久保正助と西郷吉之助。

父がお由羅事件で島流しとなり貧しさも極限に達した大久保正助に友の有難さを教えてくれたのは2歳年上の西郷吉之助でした。

その為、大久保正助は西郷が月照と共に薩摩に戻り処刑されかかった時にも奔走して薩摩藩の実力者・島津斉興や久光を説得し西郷の助命を許されたのです。

それほどまで友情に満ちた大久保は薩摩が生んだ大政治家であるにも関わらず、西南戦争以後「西郷どんの敵」と呼ばれ、鹿児島で100年以上も銅像すら建てられなかった理由は、武士階級を一掃したことにあります。

士族と呼び名を変えたばかりでなく給金も失くしたのです。

これでは全国でも武士の数が多かった薩摩では新政府の指導者だった大久保が不人気となるのは当然でした。

その上、大久保は佐賀の乱で江藤新平を処刑した際には江藤を罵倒したと伝えられて旧武士層の怒りを燃え上がらせてしまいました。

それが「西南戦争」への導火線となったのです。

確かに大久保の目指す富国強兵には訓練された洋式軍隊を組織する際に武士は邪魔になるのは解りますが、武士から職だけでなくプライドまでも奪い去ったのは残念な事でした。

西郷隆盛は大久保利通と戦って敗れることを覚悟のうえで、担がれ「西南戦争」で命を落とすのです。

1878年5月に紀尾井坂で石川県士族らにより大久保が暗殺された事件の際には「西郷隆盛の敵討ち」と犯人たちは叫んでいたと伝えられています。

大久保正助の唯一の趣味は?

大久保正助が趣味としていたのは囲碁です。

元々は島津久光の側に仕えるため若い時分に習った囲碁でしたが、それが生涯の唯一の趣味として大久保は楽しむことになります。

しかし、負けず嫌いの大久保は囲碁で負けると不機嫌になり家族にも当たり散らしたと言います。

どこに行くにも常に女碁打ちのお高というものを同道させていたと後に大隈重信が回顧して云うほどに囲碁にのめり込んでいた様です。

武道が苦手だった大久保が身を立てるのに役立った囲碁を好んだのには訳があったのですね。

洋風生活が好きだった大久保正助

大久保は暗殺される4年前に麹町に洋館を建ててそこで暮らしていたようです。

朝食にはオートミールとコーヒーを好んで摂っていて、タバコは大好きでかなりなヘビースモーカーでした。

家にいる時にも洋服を着て頭髪もポマードを使ってセットして髭の手入れも怠らなかったと云います。

大久保は岩倉使節団に加わり長期間ヨーロッパを歴訪したことから率先して洋風生活を実践していたのでしょう。

しかし、それでも一番の好みの食べものは漬物だったそうです。

最後に

ドラマ「西郷どん」で西郷吉之助と大久保正助の友情の深さを物語る話が放送されている最中に大久保正助の人間像について記してみました。

ドラマの原作者の林真理子さんは、「西郷どん」下巻の中で、西郷隆盛の息子・菊次郎に「(西南戦争前夜に)大久保卿が刺客を父(西郷隆盛)に向けて送り込んだ」と語らせています。

その刺客が同じ薩摩藩士の城下の外にすむ外城士(とじょうし)を使ったと云うくだりが鹿児島の人の大久保に対する感情をよく表している様に思えます。


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